ふつうっぽい日記
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2012年07月10日(火) 子ども時代の家事手伝い

子ども時代に家事手伝いを率先してやっていたかというと、していないと自信をもって言える。

そして、にもかかわらず、いや、ではあるが、「よそのお宅」例えば祖父母の家では進んでやっていた。これには理由があった。

「いい子に思われたいから」
「褒められたいから」
であった。
よその家のお宅の人に褒められたいというよりは、両親、とくに母親に褒められたかった。

「やっぱり女の子だねぇ。お手伝い偉いわね」とよその家のお宅の人が我が母にかけていうセリフに対して、母親の優越感のような満足感のような表情から逆算して(想像して)認められているという証拠の切れっ端をコレクションすることで「愛」を補っていた。
100個集めてようやく直接的な「愛」1個分くらいな、それくらいな感覚。

我が子が自分の家、「実家」とされる場でなんだかの作業、「公共の仕事」をするのは「当たり前」だったのだろうと察する。
外部から派遣されてくる、お手伝いさんや「ヘルパー」とは違う。
そこには
「ありがとう」というねぎらいはほとんどなかった。

「アナタが使った後のキッチンは汚いから使わないでね」
もしも今、このセリフを当時の私が言われたとしたら、
「キッチンのお手入れの仕方を教えていただきたいのですが」くらい、言い返せるだろう。
いや、もしかしたら、私の方が
「まったく、アナタが使った後のキッチンは汚いんだから……。掃除しておいたわ」
なんて、言えてしまうかもしれない。
さらに、
「これ、お口に合うかどうかは分からないけれど、よかったらいかが?」
なんてことを言えちゃうのかもしれない。

キッチン。
それは「主婦」の聖域であって、キッチンに冷蔵庫があれば、勝手に他者がその扉を開けることはいただけない。という感覚が「ふつうに」私の中にも存在していた。

今その感覚は、結構いい加減だ。

そして、今思う。
「アナタが使った後のキッチンは汚いから使わないでね」
は、娘が(例えば「エロス」(性)的な領域において)汚されないように守るための「姥皮」(うばかわ)的セリフだったのではないか。

少女がキッチンに立つ。
例えばバレンタインのチョコレートを自作するとか、手作りのクッキーを異性に渡したいとかそういうことがきっかけになることが、想像される。
その姿は頼もしい反面、保護する立場としては見守るのが厳しい現実なのではないだろうか。
そこで、母親の気持ちを察して、
「アナタの料理は最高だわ。ワタシにも教えていただけないかしら。」なんて、へつらって言えたら賢いのかもしれない。けれど、なんだか、日本っぽくない。洋画の吹き替えみたいなセリフである。

ここで、「料理の味」について思い出されたこと。
頻繁に外食をする環境にない場合、「料理」といえばそれは母による。
作った側は「美味しいと言って欲しい」という願望があるが、そう簡単に言えるものではない。
しかし、「美味しくない(食べたくない)」という拒絶の言葉は簡単に言えるものである。
自分が食べたいものを作っていただけたときに「美味しい」と言うのか、食べたくないもの以外の作成物に対して「美味しい」と言うのか。
思いがけず、突然、いきなり「美味しい」と言われた時は、その言葉を期待していない場合、少々驚いてみたり、何か魂胆があるんじゃないかと疑いたくもなるかもしれない。
初めて挑戦した料理で自分はイケルと思ったけれど、他者はどうかと少々気になる時に「美味しい」と言われると素直に受け止められるのかもしれない。

「アナタが使った後のキッチンは汚いから使わないでね」
に、再び戻る。
私は、それならば仕方がないと知恵をしぼり、クッキー的生地材料を自室に持ち込み、自室でハラハラしながら調合し、母が出かけた気配を確信して、オーブンでその生地を焼いてみたということがある。出来上がったモノは、クッキーというよりケーキだった。ハラハラしながらそのケーキ的完成品を容器に入れて、再び自室に運び入れた。その、ハラハラ実験的調理の完成品はとくに誰かに渡す目的なんかはなかった。自室でひそかに食べる自作完成品は、意外と美味しく感じられた。結局、秘密として抱えることができなくなった私は、その一部を「こっそり作った」と言って、母に渡したのだった。「クッキーのつもりがケーキになった。でも、結構美味しい」とか言った記憶。
母から雷が落ちることはなかった。
「こそこそ作らないで、台所で作ればよかったのに」と言われたような気もする。

「こそこそしない」というのは、思えば以降の「男女交際」的な視点が「オープン」であったことと繋がる。
しかしながら、この「オープン」によって、私の癖のある嫉妬が発動されていくとは、そうされていっていたことが意識されたのは、解放できたのは、降ろしてもいい「心」の荷物として受容できたのは、ここ最近だともいえそうだ。

オープンな男女交際は、健全そうに映るが、母親を一人の女性として見る視点が開かれていくという局面と対峙することになる。
「娘の彼」とはいえ「異性」である。
娘にとって、母親が父親以外に「異性」として、親しげに関わってみえるその姿は、衝撃なのである。

「心配かけずに、こそこそする」のが賢い様に思う。
上手に実家のキッチンの手入れまで含めた使い方を学び、心配かけずによそのお宅(気になる異性の居住する場)で、その腕を披露する姿はなんだか頼もしい。

子ども時代の家事手伝いは、自尊心や自己肯定感を向上させるらしい。
そういう時は、役立つ作業をする存在に対して、子どもであれ大人であれ、「ありがとう」的な感謝の交流があるのだと察する。
上手にそれをするとか、汚さずにそれができるかとかそういう評価的なものは脇に置いて、その小さな存在を認める交流的やりとりが親側には試されるのだと思う。

迷いもせず、他者の家の冷蔵庫を開く人たち、わたしがかつて偏見を持って見ていたこともあるこういった人たちは、おそらく、無意識に愛情溢れた環境にあって自己肯定感が育まれたのだと思う。

「隣の芝生は青い」などと括る時に使うことわざは、どちらかというとわたしはキライだ。
自分自身の中に「嫉妬」「妬み」「羨望」の存在を受容し、自分自身のかつてのとらわれに向き合い、物語ることには自分自身の成長には大きな意味があると確信している。



KAZU |MAIL