ふつうっぽい日記
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2012年08月14日(火) |
伯父の話から巡らせる |
祖母の仏壇を管理(?)している伯父のところへ昨日両親と伯母と訪問。 伯父は、子どもがおらず、十年以上前に離婚し、「彼女」と同棲している。 こう書くとモダンな雰囲気が漂う。 伯父は来年79歳、「彼女」は多分60代後半か70代。 「彼女」は未亡人で、子どももいる。 といっても、その子どもは独立している。 「彼女」は、教員だったらしい。 「彼女」の子どもも教員なのらしい。 「彼女」の子どもが何人いるかは分からないけれど、教員をやっているというのは娘さんでそのご主人は警察官らしい。 その子ども、つまり「彼女」にとっての孫は、交通事故で去年亡くなったらしい。 当然と考えても変ではないのだけれど、その母親である「彼女」の娘さんは情緒不安定にあるらしい。 伯父のかつての奥さんは情緒不安定が原因で結婚生活が出来なくなり実家に帰ってしまわれた。 姑つまり祖母と同居、しかもご主人つまり伯父の仕事は年に何回かしか帰宅できない船乗りの仕事だったために、ストレスが不安定要因になるのも当然と考えても変ではないように思える。 伯母や我が母等は言っていた。 「子どもの一人でもいたらまた違ったろうにねぇ」 残酷ともいえる台詞だけれど、当人たちの耳には入らないところでのささやきなので、こういうことはありうることなのだろうと思うし、その程度の次元なのだと思った。
伯父の自宅は、春先にシロアリの被害にあったのだそうだ。 突然被害にあったというのではなくて、表に出てきたのがこの春先ということ。 伯父の自宅は注文住宅で和風な造り。 基礎はしっかりとしたコンクリートでシロアリなんてものは無縁だと思い込んでいたらしい。 しかしながら、それは思いこみだったことを痛感させられた。 シロアリ業者は神社仏閣や学校の「雨天体操場」(←ウテンタイソウジョウ:伯父の言葉そのまま。つまり「体育館」ということ)の対応で忙しい日々なのらしい。 シロアリ駆除は専門業者に託した伯父であるが、シロアリの生態や駆除(収束)までの流れを熱心に業者から学び、その知識をわたしたちに分かりやすく解説する姿から知性を感じた。その学びの姿勢は、どこかわたし自身にも似ているところを感じて、親近感を持ったのだった。 我が母にとって、実の兄にあたるわたしにとっての伯父。 兄嫁なんてものは妹等(いわゆる小姑)にとっては、母親(いわゆる姑)とつるんで何かと陰口を言われてしまう対象なのだろうが、そこには兄弟への「愛」あってこそなのだと考えることができるきっかけになった気がする。
さらに、伯父の自宅は2ヶ月くらい前に泥棒に入られたそうだ。 伯父と「彼女」は主として2階部分で生活している。 かつて祖母が生きていた時は1階が祖母の生活空間だった。 玄関は一つだけれど、2階部分にちゃんと鍵があるし二世帯の造り。 泥棒は刑事によると日本人ではない3人組で、近隣でも同様な被害が出ていたそうだ。 1階部分には祖母の他界後、たいしたものは置かれていなかったとのことだが、大型テレビを置いていたそうで、それが盗まれたらしい。そして、車のシャッターの鍵と車の鍵。 伯父の車は伯父が大切にしている車で、これを盗られるのはたまらないと鍵の取り替え手続をすませるまでバッテリーを抜いておいたのらしい。車の鍵の交換は7万円だったそうだ。
伯母は 「電車と相撲を取った」とのたまった。 すごい表現である。 いわゆる駆け込み乗車をして、荷物(伯母曰わく「財布だけ電車に乗った」)は電車に残ったが人間ははね飛ばされてホームで背中を打ったらしい。 さすがに電車は3分程度停車して、ちゃんと伯母を電車に収めたのだそうだが、背中を打ったせいで背骨が曲がって、身長が5センチ程度縮んだらしい。
そんな際どい近況を聞いていると、見知らぬ人が仏間に入ってきた。 一同唖然。 「誰?」 見知らぬ人は 「こちら、初盆ですよね?」と言う。 伯父「うちは違いますよ。」 見知らぬ人「すみません。家を間違いました。」 伯父「ちょっと、お宅は誰なんですか?」 やりとりを聞いていると、自治会だか隣組的なご近所の方だか檀家さん(?)的な方らしく、お隣が初盆で伯父が案内をしていた。 見知らぬ人のこの玄関でしっかり靴を脱いで勝手に(?)仏間に入ってくる行動には驚かされた。 泥棒が再犯を企んで下見をしに来たのではないかと想像したのは多分わたしだけれはないだろうと思うけれど、わたしだけかもしれない。
そして、母が言う。 「この子のところ(つまり、わたし)も、また、いつ転勤になるか分からないから行けるときにってね。 ぼちぼち、また転勤になるんじゃないの。次は東京だろう……」 さすがに 「ちょっと、そういう噂をしな〜い!引き寄せないの!分からないだろうけれど、引っ越しは大変なんだからね」とわたし。 「そうだよね、自分たちで家も探さないといけないし、せめて、会社が探してくれたらいいのにねぇ」と母。 「そういう問題じゃない〜〜〜っ」 伯母は 「やっぱり、そりゃぁ、福岡がいいでしょう?」と言う。 「いや、どこでもいい。でも、次がどことかそういうのは考えたくない」とわたし。 わたしとしては親戚の前で珍しく感情的になってしまったけれど、後から、感情的っぽい言葉を放ってもそのことに関して評価しないでいてくれた雰囲気がなんだか嬉しく感じられた。 穏やかな親子げんかを見守られていたというか。 カウンセリングルームとか心理療法の場というのは、構造的に「守られている」と表現される。 公ではないけれど、それらのカジュアル版規模での空気みたいな雰囲気が、昨日の仏間には漂っていたなと思う。 雰囲気の「気」は、特定の誰か、専門家が作っているというわけではない。 わたしにとっては、家族の相互作用の「気」の優しさのようなものを学ぶきっかけになった。
祖母のおかげなのだろう。 あ、祖父も。
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