ふつうっぽい日記
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2012年10月01日(月) 型破りに揺れる

「型破り」という場合、一通りの型を経験しておくことが求められるのだろう。
よって、わたしのような外部からのヘルパー的な人材がその活動領域において「型破り」をした、なんていうことは表現としては狭くなるはずだ。

最近、介入している現場で、施設外での活動引率補助を打診された。
正確には、促された。
自発性があるのか試された、というのが近い。
理由は、施設外での活動補助では外部からの雇われパートには何かと制約が立ちはだかるからである。
制約の中には、万一何か事故に巻き込まれた場合に労災認定されないということがありうるのだ。
よって、施設の側から積極的に依頼するというのはよろしくはなく、スタッフの熱意に負けて「承諾」「配慮」という形式でもって事を流すことが都合がいいらしい。

「大人の事情」とでも言うか。


大いに気がかりな対象が3名ほど、そして、気がかりな対象となると最低でも10名はいるかもしれない。60名以上はいそうな子ども等のグループを10名の大人で引率をしても大人の数は多すぎるということはない。
施設外の活動、それも交通機関を使った流れとなると安全面での配慮の目は多いにこしたことはないだろう。
現実的には10名も大人はいない。
わたしが把握しているだけでも片手だ。

労災といった制約、法的な縛りをほどいていく、広げるように働きかけるにしても一日そこらではできない。
困っている人を目の前にしながら、法律があるから近づけないとか関わることができない、なんていう話はない。

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何年か前、労災的な条件も具体的に決まっていなかった頃。
数十メーター先の図書館に同行するのでさえ、ためらわれた。
そういう中、純粋に施設外活動が楽しそうだから同行したいと気持ちを何度も伝えていたスタッフがいた。
当時のわたしは、自分が楽しいからというただそれだけの理由で参加したいと申し出るなんて、なんとも呆れた考えだという思いに簡単に支配されていた。
その活動参加者には知的障害を有する児童が含まれていて、多くの時間をその子と一緒に活動することになって、同行が実現したスタッフとしてはその子以外にも多くの参加者と活動をしたい思いが強くあったという気持ちが語られた。
結果として知的障害を有する児童の専属のようなかたちになってしまったことに不満を抱いているかのようにも映った。それでも、総じて、前例のなかった施設外活動に参加したという達成感のような、充実感のようなものもうかがえて、今思えばわたしの中では羨ましさがあった。

当時の制約や正義感と羨ましさの中で揺れた思いと、今回の思いがけない状況の思いの出逢い。

今日の星のお告げのメッセージにも重なる。

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これまでのあなたなら断るような依頼や物事を、今日はなぜかトライしてみたくなるでしょう。そのやり方も、いつものあなたならしないやり方で試みそうです。もし、たとえそれで失敗したとしても、そこから学んで吸収するものも多いでしょう。今までのやり方や成功例にとらわれていては、見落としていたこともあったはず。今日のあなたは、そんな過去と決別するように、思い切った行動が取れます。それによって、あなたの心も充足するでしょう。

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心の充足とは、誰かの型破りに近くで揺れることによってなされることもあるのかもしれない。

型を破っているのはわたしではない、という意識を大切に謙虚に素直に純粋に楽観的に楽しもう。


KAZU |MAIL