ふつうっぽい日記
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2013年05月22日(水) 昨晩の寝付きの悪さについて巡らせる

昨晩、寝付きが悪かった。
すごい悪女的な思考が脳内を巡り、不発なひとときを過ごした。
毒舌的な言葉が放出するプロセスを認め、自分自身の課題を探ることを目的として文章化することにする。

わたしは小売りの仕事を小規模ながらやっている。
商品の受注、納品、集金、仕入れ金支払いというのがざっくりとした流れだ。

最近の受注方法としてはメールが主流だ。
少し前までは、電話も珍しくなかった。
経営方針上、いわゆるネット通販という方式は採用していない。
本来は、直接必要としているであろうお宅に訪問して、商品について説明をして、その時に必要に応じて欲しい商品を聞き出して、次の商品についての説明時に納品と集金をしてその時に欲しい商品があれば聞き出し……という流れである。
が、生活スタイル、生活拠点というのは移っていくものである。
定住する可能性がある気持ちが豊富な土地での販売活動と、移動の可能性を抱きつつのそれとではモチベーションも変わってくる。
いくら情報伝達手段が進化しても、それが人間的ではないというか直接的とはかけ離れた方法だと意識されてくると、初めはその新しい方法そのものを機能させること、作動させることそれ自体に楽しさとか意味を持たせることに満足していてもなんだか硬直化してくるというかパフォーマンスが落ちてくるというか、立ち止まってしまう。

わたしは時間をお金で買うことがある。
納品を配達業者に委託するのだ。
分かりやすくいえば、郵送で納品物を送る。
そこには当然、コストがかかる。
支出が発生する。
しかし、その支出には手間も含まれているわけで、たとえば自分以外の人材を雇用することを考えれば送料390円とか500円はお得なのである。手間といっても5分程度。
納品先が不在であっても再配達をしてもらえる。
配送業者から「あのお宅は行ったのに不在だった!どうしてくれるんだ!時間を返せ!」と文句を言われるなんてことはない。
そう考えると、390円とか500円で配送業者の時間を束縛してしまうのは申し訳ない気もしてくる。

ある顧客から、
「郵送してもらうのが申し訳ないので直接受け取りに行きたい」とあった。
顧客の希望としては、直接取引なのだ。
顧客の自宅へ直接納品してもらい直接支払いたいと。
不在の場合の想定もあり自宅郵便ポストに商品を入れてもらい、支払い金額はポストに入れておくとのこと。それを客観的に見ると、状況によっては不審者に映らなくもない。
実際に起こった別の状況としては、家族が在宅しており、商品を渡すことができたが、後日、その家族から注文者に対して感想のコメントがそのまま注文者からわたしに伝えられ複雑な思いを抱いたのだ。
その思いは今も持続している。

具体的には、その日は陽差しが強かった。
留守番していたのは中学生女子。
わたしは買い物「ついで」にそのお宅に自動車で寄った。
正確にはその自動車を運転していたのは夫である。
夫はサングラスをかけていた。
わたしもサングラスをかけていたかもしれない。
娘さんが母親に
「変な人が来たかと思って、怖かった。居留守使おうかと思った。」と伝えたらしい。
母親としてはその現場に居合わせていなかったので想像される状況としては面白かったのだと思われる。そして、怖い気持ちを抱かせた対象に対して、憤りの気持ちも持っただろう。
呪いのこもった言葉になるのも今となれば分かる。
呪いのこもった言葉とは、例えば、
「まだ結婚しないの?」とか
「子どもはまだ?」といった、返答に困る言葉である。
話を戻す。
その母親から
「娘が変な人が来たかと思って、怖かった。居留守使おうかと思った。と言っていた」と伝えられた時の不愉快な気持ちを今も抱えている。
「ついで」というのは気楽なようで、予想外のリスクがあるものなのだ。
リスクといっても「心が傷ついた」というメンタルな領域であったりもする。
そこにコストがかかっていない分、タダでマイナス的なリスクを受け取った感は大きい。

「近所の人が見ていて、ポストをいじっていたと言われた」と再び彼女から伝えられるのではないかという予期不安もある。
この不安は、「娘が変な人が来たかと思って、怖かった。居留守使おうかと思った。と言っていた」という経験がなければ抱かずにすんだものだ。


また、「ついで」の功罪、罪過として、納品対象が女性であり、「ついで」に、たまたまいた夫とのコミュニケーションが発生し、女性としては「嫉妬」が引き出されることもあるのだ。
ここには「申し訳ない」という思いがある。
「ご主人にまで手数をかけてしまって」という常識的な、「ふつう」に置き換え可能な。
それが重なると、
「これ、ご主人とよかったら食べて」
といって、手作りのお菓子などを受け取ってしまうことももありうるのだ。
実際にある。
「手作り」というところが、嫌らしいところなのだ。
悪女的発想では、それが甘ければ甘いほど、カロリーが高ければ高いほど、太らせることにも成功する。また、似たような状況としては、ランチバイキングに誘い、相手に大量に食べるように仕向け自分は控えめを貫くのである。相手が食べる姿を糧に希望にするのである。

引きでみると、見えてくることがある。
配送業者との対応の時間、受け取るための拘束時間、支払いを送金するための時間が「申し訳ない」という言葉で置き換えてまでも「もったいない」を伝えたいのだろうと。


5月から協力している家計調査のやりとりにも少し繋がる。
家計簿を月2回回収に訪問されるが、ポストを通してやっている。
ポストといっても自宅のだ。
ペラッと手を少し入れられる窓から封筒に入った家計簿を、封筒ごと回収し、受領のメモが入れられる。
やはり、わたしは経験により想像するのだ。
調査員がポストを物色している不審者に映るのではないかという想定を。
それは「申し訳ない」のである。

経験を活かすために考えたこと。
大きめのビニールケースの内側に調査員の名刺を見えるように貼った。
そのビニールケースの中に回収書類を入れておくのである。
ビニールケースをごそごそとポストから引き出す動作はその時点では不審であるが、もっとその動作を見届けるとそのビニールケースには受け取る相手の名前が書いてあるのだから正しい行動の証明にもなる。書類回収後は、そのビニールケースの中に受領のメモを入れることができるのだ。


彼女に提案してみよう。
不在取引時は、ポストに鍵を付けること。
その鍵はプライベートとは分けることが望ましいこと。
「○○さんへ この中に商品を入れてください」と明示してもらうこと。
お金を渡す&受け取る方法、リスクの相互理解。
ご家族にこのことをちゃんと理解していただくこと。




「あなたのメールが来てから立て続けに悪い事が起こった」と伝えられたこともあったっけ。

呪いのこもった言葉、呪いのセンスが絶妙に配合されているメッセージからの自分自身への課題。


動じない精神?
弱い精神の持ち主の自覚?
変わりゆく人間の心?
そうでも表現しないとやり過ごせない心情?



「今となれば、笑いが出る想い出の不審者云々エピソード」


苦痛な時間を埋める手段。
その時間は、誰かにとっては楽しい時間。
楽しい時間であることの「ふつう」を押しつけていないだろうか。


まったく同じ一日なんてありえない。
今日起こった出来事とまったく同じことが明日起こることはない。


KAZU |MAIL