ふつうっぽい日記
もくじ|過去|未来
今年も4ヶ月を切った。 前回、日記的文章を書いてちょうど2ヶ月だ。
月日が流れるのは早い、とはよく言うけれど、相当に流れていった。 朝の活動前に、最低1分は時間を取って、視野の広い位置から言葉にされた文章を読む習慣はもうすぐ3年になるだろうか。それでも、 「続いている習慣は何ですか?」と、尋ねられてもそれは多分言わないと思う。
淡々と日々をやり過ごして、 「あっという間」 「月日が流れるのは早い」と言えてしまう状況では、 「なんだか今年は災害のニュースが多かった」的に括られてしまいそうだ。 自然の変容ぶりは、リアルタイムで映像化された情報がお茶の間に届けられる。 一方で人々の変容については、リアルタイムで伝えられるものではない。 多くは事後報告であり、分析途上の言葉だ。 そして、変容の目立たない状況から目立った状況が直線的に繋げられる。
今に始まったことではない。 始まりはいつかについて検証をするのは、その始まりの時期には出来ない。 「問題」として意識される、自覚されるきっかけがあって初めて過去をふり返ることになるのだ。
感覚的に、「秋」は変化の要素が多いにも関わらず、順応しやすいような気がする。 化粧品を新しいブランドとかシリーズに変えるのも秋がいいと聞く。 秋という季節は、肌への負担が減るのだそうだ。 肌。 動物的、生物的表面。 内部では、季節の変化でおそらくは多様にうごめいているのであろう。 敏感であってもおかしくはなさそうだ。 しかし、こう考えるとしっくりくる。 とにもかくにも変化は回避できない状況、不安定であることを認めないことには先に進めない状況。
秋というのは潔いのかもしれない。 いちいち変化に対して、騒いでいても先へ進めない。
変化に対して、不安定になることに対して、適応的なのかもしれない。
不安定の原因を限定するには、あまりに多様な原因がありすぎて出来ない。
どさくさに紛れるという感じか。
なるほど、そうこうしている内に、寒い冬が来て、年末を迎え年始を迎えて、去年のことは当たり前のようにざっくりと「過去」として境界線が引かれる。
秋はなかなか世渡り上手である。
不安定な時にはこの潔い世渡り上手な「秋」を巡らせよう。
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