ふつうっぽい日記
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2014年03月17日(月) 「ふつう」の枠組みから「ゆとり」へ

今日はパート活動先の学校が卒業式。
支援対象児童は卒業学年ではないので休業。
方針によっては、支援対象児童云々に関わらず、参加するように計画されていることもある。参加することが「規則」というわけではないのだ。
本年度は、支援の方針のメリハリがついていて、わたしにとっては非常に動きやすい。
動きやすさが実感できたのは、前年度が「微妙」であったおかげ(?)ともいえるか。
まぁ、「微妙」であるということは、ある程度は想定内であった。
というのも、支援学級新規開設年度であったし、新規支援員配置校であったからだ。

そういう前例のない場に誘導されたこと。
特定の偏見的な立場から見ると、「嫌がらせ」とも受け取れなくはない。
「厳しさ」というのはある一定は、どの学校であっても「平等」だろう。

 
ところで平成23年10月のデータで全国には585箇所の施設がある。
収容児童生徒個々がハイリスクな存在なのではない。
ハイリスクなのは、環境である。「世間」の考え方である。

「園の子だから可愛そう」
「園の子だからこうなんだ」
的な「世間」の考え方、受け取り方は、理想的な合理的な考え方に至る途上、必ず浮上する感情であるとわたしは思う。

その感情を越えられるかが、その環境を理解する者には問われてくる。

話を戻そう。

前年度、わたしが置かれた環境は、条件として、支援学級新規開設年度であること、新規支援員配置校であることに加え、児童養護施設が校区内にあるということであったのだ。
基本、支援員は勤務校を自分で選べることになっている。

わたしはあえて選ばなかった。
こだわりは、駅から近い方が助かるということくらいだ。

一昨年度の勤務校、教頭さんからの紹介で現在の勤務校を選んだ。
「ここよりも駅から近いよ」というのが素直にラッキーであった。
厳しい現場であることは、おそらく教頭さんも想像できたのであろう。
「もし、厳しくて出来ないなぁと思ったら、また、ココに戻ってきてもいいし」とも最後に「助言」された。
スキルがあるからとかではなく、偏ってきた因習的な雰囲気を戦略的に一掃したかったのかもしれない。
まぁ、でも、前任校は支援員の配置対象から外れていたという現実もあったので、わたしの想像に過ぎない。

支援学級新規開設年度であること、新規支援員配置校であることに加え、児童養護施設が校区内にあるという環境においては、「理想」や「目標」は持ちにくいものなのだ。
それぞれの「思いこみ」のぶつかり合いは回避できない。

今となり、前年度を振り返れば、周りの「感情」に支配されないように自分自身を励ましてきた。児童養護施設で暮らす子には限らないが、「愛着」が不安定な背景にある子と関わる時、自分自身の幼少時代の未解決な課題が引っ掻き出されるような感覚になる。
「お試し行動」と呼ばれる。
繰り返し繰り返しそれは起こる。人を変え、場を変え、それは起こる。
なるべくなら、激しい感情には巻き込まれたくはないと考えるのは「ふつう」であろう。

支援員という立場は、担任と連携して児童生徒の支援にあたる。
子どもと担任との信頼関係が構築されてから初めて支援員として機能することができるのだ。
その支援員の機能には、特別な資格は不要だ。

しかしながら、実際は、子どもと担任との信頼関係はそう単純に構築できるものではない。子どもと担任との信頼関係を構築する「お膳立て」のような役回りも支援員がすることになる。「しなければならない」というより、そうなってしまうのだ。支援員自身が健康的に機能するためには。

子どもと担任(大人)との相性は、やはりあるのだ。
相性がよろしくないと、お互いに厳しくなる。
「1年の期限だ」と言い聞かせてなんとかやり抜くという指導者も多いと思われる。
それに比べると、支援学級の担任は講師や定年まであと1年という立場でない限り、通常5年は続くのだ。


がっつり学校組織の中で位置づけられた職員ではないという立場だからこそ、いろいろと見えてくる支援員という立場。
わたしとしては、「キャリア発達」という視点で多くを成長させていただいている貴重な立場であると思っている。

燃え尽きて倒れて、関わるべき領域を修正するというのも、「ふつう」だと思えば、「ゆとり」が持てる気がする、わたしなのであった。
ひとまず、今日のところは。


KAZU |MAIL