ふつうっぽい日記
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2014年06月25日(水) |
考えることに限りなし |
現在、実質無職という立場にある。 解雇されたというわけではない。 2ヶ月交替のパートシステムなのである意味仕方がない。 同じパートをしている人は、空きの期間、どうやって間を埋めているのだろうかと思う。 ほとんどが専業主婦であろうと思われる。 しかも、子育て中。
わたしはどうだ。 決まったパートをしていなければ、専業主婦ではあるが、子育てはしていない。 子有り主婦は思うことだろう。
なぜ、正規雇用の職業に就かないのか。
子どもがいなければ私だって……。 と、いろいろ続くのではないかと想像する(妄想だ)
わたしだって……。 なのである。
立場が違っても、根底に流れる思いは共通だ。
年代で括るのは偏見だろうとは思うが、ちょっと書いておく。 現代は、「寿退職」というのは死語に近いのかもしれない。 出産後も育休等を使って、復職する傾向にあるんだろうなと察する。
わたしは結婚と同時に退職した。 なぜか。 大きな理由は、就業の土地ではない場所に嫁いだためだ。
どうだろう。 現代であれば、そういう就業の土地ではない場所に嫁ぐ場合でも「転職」とか「異動を申し出ること」を考えただろうか。 振り返ると、嫁ぎ先エリアでの再就職、転職をチラッと上司に相談したことがあった。 しかし、 「腰掛け程度に働くなら(どうせ今後、出産するのだろうし)パート程度の軽い仕事のほうがいいんじゃないの。まぁ、しばらくはゆっくりするのもいいんじゃないの」的な声であった。 たしかに、周りの結婚した友人等も寿退社の後、パート的な仕事に就く人が多かった。
嫁いだ土地は、わたしにとっては見知らぬ土地であった。 親元を離れての生活も初めてであった。 カルチャーショック的な状況にもなったし、今思えば引きこもりにもなった。 働き盛りであった夫は連日帰宅が遅かった。 結婚2年目にして夫がリストラに遭い、悶々とする日々も過ごした。 しかしその悶々とする日々は、わたしにとっては嬉しい日々であった。 なぜか。 一緒に過ごせる時間が多いからという理由。 しかし、夫側としてみれば今後の人生を考えると悶々とするわけで、 「家にはいるがいないと思って欲しい」という言葉は忘れられない。 スーパーへの買い出しも一人で行った(それくらい一人で行っても別にどうってことはないが) なんだかちょっぴり寂しい思いで歩いた記憶があった。 それでも恵まれていたのだろう。 会社都合なので退職金も出た。 そして、転職斡旋もしてくれて実質失業期間無しで転職できたのであった。 夫は後に言った。 失業中は、鬱っぽかったと。 そして、自尊心が守られたのはどんなに収入が減ろうとも小遣いが減らされなかったことを感謝してきた。
もしも、わたしがフルタイムで正社員的なかたちで就業継続していれば、さらにダメージは低かっただろうと思う。
時々テレビで「女性の社会進出を応援する」的な内容で、子育てに一段落した女性や、子育て中の主婦がテキパキとパソコンと向き合い、「キャリアウーマン」風に働いている姿を見たり、これから面接に向かう的な姿を見ることがある。 彼女らには、出産育児を経験してきたからこその凛とした強さが感じられた。 ひとり親家庭の女性はさらに芯を感じる。 彼女らと同時になんだかの採用の場に臨めば、わたしのオーラなんかはほとんど消えてそうだ。
ひとり親家庭といえば思い出すことがある。 A児はケース会議にかけられるような子であった。 必要に応じて、専門的な施設で必要な支援を受けていた。 その日も専門的な施設に行く日であった。 通常、学校に保護者が迎えに来て連れていくものだが、A児の保護者は多忙であり同行できないと伝えてきた。 送迎は原則されないが、帰りは迎えに来ることを念押しして、なんと専門的な施設のスタッフがはるばる自動車で学校に迎えに来たのだった。 また、学校でトラブルがあり、保護者と話をしたいと携帯に連絡を入れると「今、A市でチラシ配りの仕事をしている最中なので」と伝えてこられ、結局、保護者の母親(つまり子どもにとっては祖母)が事情がよく分からぬまま学校に駆けつけた。
そういう個別の事情を間近で見ると、わたしみたいなちっぽけな存在でも何か役に立つかも知れないと思えてくるのであるが、年々、事情は厳しくなっていくような気がしている。 職場全体が個別の事情を抱えるのにいっぱいいっぱいで、逆にわたしみたいなちっぽけな存在が場を乱しているのではないか、状況を悪化させているのではないかとも思えてくるのだ。
いわゆる「燃え尽き症候群」なのかもしれない。 ただ、たんに。
特別支援教育の対象には、明文化されてはいないが被虐待児も含まれてくることもありうる。 家族環境(養育環境)の不安定から、なんだかの病理的な課題を抱えた子もいるだろう。 生物学的な性別を越えたパートナーを養育者に持つ子もいるだろう。 子ども自身もまた。 環境は一様ではない。 自分が関わっている社会はほんの一部に過ぎないのだ。 だから、ずっとずっと広い枠組みから環境を、人的環境、家族を捉えねばならない。 ねばならないというか、そうしないことには「多様化」を巡らせられないはずなのだ。
個別の事情を察する(想像する)ことにおそらく心を砕きすぎたのだろうと思う。 そこまで求められていないことに囚われたのだろう。 「ふつう」はしないであろうことをやっていたのだろう。 そして、「ふつう」やるであろうことをやっていなかったのだろう。
他者との「ふつう」との擦り合わせは簡単なことではない。 起こってしまう化学変化的なエピソードを通過させて後にあれやこれやと巡らせることからしか始まらないコミュニケーションもあるのだろう。 あれやこれやと巡らせることに対して専門的な経験や知識が活かされるのかもしれない。
不器用な巡らせ方しかできないのが「ふつう」であろう。 不器用ながら巡らせてみたくなるのが「ふつう」であってほしい。
何事も先回りが出来るわけではないのだ。
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