2002年01月17日(木) |
仕事について考えてみた |
6日続けて働いた人間に、神様が1日休みをくれた。 最近では、神様経済もデフレのようで、5日働いて2日休みをくれる。
どのくらいの時間を『仕事』として奪われているのだろうか。 計算してみる。 8時間×5日=40時間/週の不自由。通勤時間を入れたら50時間くらいか。(あくまで理論値。現実的じゃない) 約3割の時間を縛られている。 食事や睡眠など、最低限の時間を差し引けば、自由な時間って、どのくらい残っているのだろう。3割?2割? 仕事をしなければ、自由な時間は倍になるんじゃないのか? そうすれば、やりたかったことを存分にできる。 本当にやりたいことに集中できるだろう。
今、ロボットが人の代わりに働いてくれる。どんどん、便利になっていく。某耳無猫型自動人形(青色)も、そんなに遠くない頃できるだろう。 彼らに仕事を任して、人間は働かなくても良い時代が来るかも知れない。 寝て、笑って、楽しんで、歌って、踊って、………毎日が日曜日の生活。それが人間らしい生き方の時代が。
昔は、どこに行くときも2本の足で歩いていた。
自分の歩いていけるところが生活圏であった。 しかし、楽な方法を見つけていく。馬に乗ったり、誰かに担いでもらったりして、自分の足で進まず、加えて遠くに行ける方法を知った。 馬が車になり、飛行機にかわり、ついには地球全体が生活圏になってしまった。 裏側の国が通貨切り下げたことや、大国のトップが喉を詰まらせたことだって生活に関わってくる。色々、知ることができる。 遠くに行くのに、わざわざ歩かなくてもよくなった。
屋内ではどうだ。 10階、20階のマンションならエレベーターはある。 新聞を取りに行くのだって、100も200も駆け上がる必要はない。 最近ではホームエレベーターがある家もある。2階建てでだ。 そんな物が必要なくらい、歩くのが嫌なのだろうか。 大きな駅や展示場、空港に行けばウォークスルーがついている。
本当に、歩く必要がなくなってきている。
映画『バック トゥー ザ フューチャー 3』でドクがサルーン(酒場)で語るシーンがある。
クルマやウォークスルーの話をする。文明が発達して、自分の足で歩かなくてもいろいろなところにいける。そんな語りを聞いて、客の一人が質問をした。
客 「じゃあ、人間は歩かなくなるのかい?」
ドク「いいや、歩くさ」
客 「何のために?」
ドク「健康のためさ」
一同爆笑
どんなにロボットが発達しても、人間は仕事をやめないだろう。全てを彼らに任せはしない。 やりたいこと、やるべきことがわかっている人間は、それに向けて時間を削る。 未来に夢見る人は、新しいことを追求する。 前向きな人間には時間が足りない。
でも、多くの普通の人は、時間ばかりあっても、何をやっていいのかわからない。 正直、3日をこえる休みをもらっても、目的がなければ苦痛に変わる。 色々なことをやりたいと思うのは、多くの時間を制限されている反動だ。
仕事に行かなくてもよくなったことがあった。 結果でいえば、3ヶ月の病気休暇だった。 やろうと思えば、何かやれていただろう。 日常に支障のきたす鬱だったけど、終わりのころは何かやらなくちゃいけない強迫感があった。 1日が長かった。 何もしないでいる時間が嫌だった。 自由な時間を持て余していた。 なんでもない家事を任せられたとき、すごく楽になった。
未来からきた人がいたら聞いてみよう。
「人間は仕事しなくてもよくなったの?」
答えてくれることを望む。
「してるさ。人生を楽しむために」
こんな答えを望む。
追記 こんばんは、あまつばめです。 カウンター1000こえました。 嬉しくて小躍りしています。ワーイ 今日は、アルコールが入っているのでヘタレなこと書いています。 仕事中に考えたメモを頼りに書いています。どうなっていることやら。 一応社会人なので『仕事』で書いてみましたが、勉強とかSEXとか人付き合いとか、苦痛を伴なっているものは、最後の文でそれなりにまとまりそうです。 引用した会話はあとで確認を取ってみます。多分、間違っていますから。
えっと、18日と19日の日記を休む予定でいます。 ちょっと、旅行に出かけてきます。 帰ってきたらまとめて書きますので、見捨てないでください。 すごく弱気になっているあまつばめでした。
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