宇宙人がやってきた
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2002年02月05日(火) 私のこと

結婚するまで、O線のM市に住んでいました。
そこは、他府県の方でもご存知なくらい、福祉に力を入れてる地域。

うちのそばには版画美術館があり、展示物を観たあと
ティールームに行くと、
障害者とおぼしき人が、お茶を運んで来てくれる。

駅前では、車椅子の人やボランティアの方々が
常に何かを呼びかけている。

当時、私は1人住まいで、働いていました。家族、猫1匹。
仕事は、インテリアデザイナー。
なに、内装屋です。

お客さんと打ち合わせをして、好みを訊ね、予算を伺い、見積もりを立てる。
図面を引いて、細かいデザインを打ち合わせOKが出れば、契約成立。
職人さんを手配して、現場の監督をし、完成したら「引渡し」、終了。
現場は色々です。横浜の時もあれば、埼玉、千葉の時もあり
遠かった記憶では、千葉の旭というところで、
九十九里の、国民宿舎に泊まったりもしました。

現場が重なると、家にも帰れなくなり、現場近くの銭湯行ったり
合間を見て、コインランドリーで洗濯したりしてましたね。
友達にコンパに誘われ、やっと駆けつけても、汚い作業ズボンに
三色ボールペンを胸ポケットに差してたりして、嫌がられました。

初めにいた会社の関係で、殆どが美容院の仕事でしたが
日に3件、美容室をハシゴしても、自分は何ヶ月もカットしてない状態。

そんなわけで、収入は多少良かったです。
同年代のOLさんよりは、稼いでましたが
そのぶん、税金もガッポリ取られるわけです。
分納してましたよ。借金して払ったこともあります。
いっぱい払って、ちょっぴりしか寝られず、いつも疲れてました。

仕事は楽しかった。
1枚の白い紙から、どんどん形になってゆく。
完成した時の喜びは、何度経験しても色褪せることはなかったです。

でも、やっぱり疲れていた。
寝不足のボンヤリした頭で、東急ハンズへ行こうと駅前を歩いてた。

例によって、ボランティアの人達が叫んでいます。
支えられて立っている、肢体不自由の人もいる。

ふと、顔を上げた時、ボランティアの方と、目が合った。
「お願いします!」と呼びかけられる。
サイフを出して、中を見る。小銭が、全くなかった。
1万円札が、数枚。千円札も、なかった。

駅まで行けば、売店がある。そばには、丸井もある。
両替してくることも考えたし、そうしたこともある。
けれど、その日の私は、とても疲れていた。

それで「ごめんなさい」と小さく呟いて、そのまま行こうとした。
熱心なボラさんだった。「お願いします!」と、頭を下げる。
「持ち合わせがないんです。ごめんなさい。」丁寧に言ったつもりだった。

その時、そばにいたリーダー格らしいボラさんが、こちらを見て言った。
「そんなに無関心でいいんですか!?他人事じゃありませんよ!
もっと、弱い立場の人間のことも、考えて下さい!!」と。

振り返る人もいた。「すみません」と頭を下げ、逃げるようにその場を去った。
足早に歩きながら、だんだん腹が立ってきた。モーレツにくやしかった。

「他人事じゃありませんよ!」ええ、他人事じゃありません。
頼れる親もなく、たったひとりで自分の「食い扶持」稼いでますから。

「弱い立場の人間のことも考えて下さい!!」確かに、普段考えてません。
でも、この市は高いんです。税金をいっぱい払ってるんです。私達。

いっぱい働いて、いっぱい払って、最近視力が落ちて
これからメガネを、新しくしに行くところなんです。このお金で。



その数年後に、まさか自分が障害児の親になるとは、夢にも・・でしたね。
かといって、あの時の私の「やりきれなさ」を、そう理不尽だとは思わない。

ともすれば「しょうがないじゃん、うちの子障害者なんだから」と
甘えた心になりそうな(そういう性格なので)自分を戒める為にも
憶えていたい出来事で、感情なのです。

相手の立場に立てないと、真の「バリアフリー」も理解できないまま
求めるだけ、甘えるだけ、主張するだけ、の弱者になりそうな私なので・・・。


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