宇宙人がやってきた
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2002年06月03日(月) 長生きしたいなー・・・。

この週末、初めて私1人で、子ども達と買い物へ行きました。

朝から悩むくらい「だいじょうぶかなー」と不安でした。
何しろ、“多動×2=大変”の図式しか浮かばなかったので・・・。

けれど意外にも、息子は買い物の間ずっと、私のそばにいました。
娘をカートに入れ、売り場の中を移動する時もおとなしくついて来ました。

感無量・・・・・・。
何度も、車や自転車と衝突しそうになった姿が、目に浮かぶ。
こんな日が来るとは・・・。



その日の夕方、食事に出かけるため車に乗らず
バスで出かけたら、乗った途端に泣き出してしまいました。

「ナゼ、車、ノラナイノ?」

納得がいかない息子に、説明しないまま夫がバスに乗ってしまったからです。
「乗っちゃえば何とかなる」と思ったのでしょうね。夫は。

「先に、言っといてやらないとダメなんだってば」
そう夫に抗議しても、「う〜ん・・・」泣くほどのことかと思ってる様子。
一緒にいた義母も、
「バスに乗ろうねって、昼間言ったんだけどね」と不思議そう。

こういう時って、いつもやりきれなくなるんだよ。
昨日今日、この子の親になったわけじゃないじゃん。
何がこの子を不安がらせるか、苦痛なのか
知っているでしょう?見ているでしょう?

“泣いちゃった”んじゃないんだよ。“泣かせた”んだよ。
「他人には理解できない」オプションを持つ、子どもの親が。

難解なパズルを解いたあと、異物を口にしちゃうような子なんだよ。
できあがったパズルだけ見て「スゴイスゴイ」と言わず、
かじられてボロボロになった、ピースも見て。

「ヤダ〜ヤダ〜」と言いながら、バスに乗り込んできて
そのあとシクシク泣く息子を、誰も変な目で見ることはなかったけど
10年後の息子が同じことしたら、周りの人は好奇の目で見るでしょう。

その時に、「恥ずかしいから」「知られたくないから」
療育をしているのではありません。
泣いてしまうほど、辛い目に合わせたくないから、その為の「療育」なんです。

私は息子を愛していて、その気持ちは
死ぬまで・・いえ、死んでも変わらない。ずっとずっと変わらない。

理解を望むのが、とてもとても難しい障害。
身内にさえ「愛してよ」「理解してよ」とは言い切れない。

そう思うと、なんだか寂しくてたまらない・・・。




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