Opportunity knocks
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2002年01月04日(金) 長い1日

朝、まだ夜の明けぬうちから起きだす。
温かい布団からでるのに一苦労。
スキー板とその他もろもろを車に積んで出発した。

名古屋市内は思った通り雪が残っていて、高速道路はどこも通行止めになっていた。白鳥高原へ行くにも東海北陸自動車道という高速道路を使っていくのだけど、はたして通行できるのだろうか?

走っていたら案内板が見えた。
「東海北陸自動車道-通行可。チェーン規制あり」
ほうらね、とでもいいたげに連れ合いが私の顔を見る。

車は高速道路に入り、目的地に向かって順調に進んでいた・・・かのように思えたのだが、岐阜に入って事態は一変した。大粒の雪が降っているのだ。
道路の表面は雪に覆われて、視界もあまり良くない。
そのうち車は連なりだして、渋滞となった。たぶん除雪車がでているのだろう。
反対車線を見ると大型の除雪車の後から、普通の乗用車がのろのろとついていくのが見えた。ほうらね・・・・こうなると思ってたんだ。。
何か言いたげなわたしに向かって連れ合いがいった。
「プラス指向で物事を考えようよ」
「・・・・・・・」

かなりの時間をかけて、車は高速道路を降りた。
インターを降りて、30kmほどのところにスキー場がある。
雪の降り方がすさまじいので、車を降りてチェーンをつけることにした。
4WDとはいえ、チェーンなしではたぶん山は登れないだろう。

チェーンをつけて山を登り始めると、狭い山道に何台もの車が立ち往生しているのが見えた。ノーマルタイヤで、なおかつチェーン無しという無謀な車が何台もいるせいで、道が渋滞し事態を悪化させている。
またまたかなりの時間をかけて、ようやくスキー場についた。
6時にウチをでて、着いたのは12時過ぎである。
そんな事態をもろともせず、連れ合いとコドモは相変わらずのハイテンション。
さっそく昼ご飯をたべ、ゲレンデへ出る。

わたしは北陸育ちなので、スキーは小さい頃からよくやっていた。
中学校の体育は冬中、クロカンだったし、スキー合宿なんていうのも結構あった。コドモも結構覚えがはやく、たいていのところはついてこれるようになったので、雪の感触をたのしみながら、しばしたのしく滑る。
しかし・・・・それもつかのま、2時間くらい過ぎると、雪はしんしんと、というよりごうごうと降り始めた。まるで吹雪のように。

もう十分滑ったし、そろそろ帰ろうということで意見が一致し、5時過ぎにスキー場を出た。悪夢はそれから。。

スキー場をでて1kmもいかないうちに、車は止まった。大渋滞。
行きの様子から想像すると、まあそうだろうなとは思った。でも、でも、まったく車は動かない。1時間かけて、1kmも動かない。

結局山から降りるのに3時間半。山のふもとからインターチェンジまで4時間。
インターから自宅まで2時間半。ウチに帰りつくまで、なんと10時間かかった。
開き直って、時間が経過するのをただただ待った。

音楽も聞き飽きて、ラジオも入らないので、仕方なく3人で言葉遊びを始めた。言葉遊びといってもたいしたことではなく、世界中の国の名前を交互に言い合って、出てこなくなったほうが負け、というもの。
コドモも最初がんばって答えていたが、途中で寝てしまった。
中南米、東南アジア、中央アジア、東欧、北欧、南欧、中近東、アフリカなどなど
いろんな国名をひねり出した。もうこれ以上でてこないだろうというところで、
「モーリタリア」とわたしが言ったら、連れ合いは「ハイチ」と余裕で答えた。
5分ほど考えて、「アンドラ」と私がいうと、またもや余裕で「イエメン共和国」
と答えた。10分ほど考えたけどとうとう次の国が言えず、私の負け。
次は、アメリカ50州を言い合った。最後まででなかった州が5個。
ワイオミング州、ウイスコンシン州、ノースダコタ州、サウスダコタ州、
そして、バーモント州。。

そんな感じで暇をつぶしながら、我慢に我慢を重ねてウチに辿りついた。
いったい何時なんだろう?と時計を見ると、2時半。。
明日(もうすでに今日)は仕事。
疲れ果てて布団に潜りこんだ。

明日、起きられますように。
無意識に時計を止めませんように。
明日は仕事なんだ、と自分に言いきかせながら眠りについた。




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