深大寺へ行った。バラを見に。おーほっほっほ。優雅ざんしょ(壊れてる)。
以前行ったときにはバラとは無関係で、おそばもぱっとしない所で食べて、でも初めて一眼レフで写真を撮ったのが深大寺だった。
どこのどなたとも存じ上げないオコサンの写真も撮ったりして、自分にコドモが出来る日なんて、まだまだ遠い遠い未来のこと。9〜10年前のことかも。
東京の公園、で検索したら、たまたまバラ園の情報が目に留まったという夫、いつものごとく楽観的である。 大丈夫、そんなに混んでないよきっと。
こういうとき、妻はとことん悲観的だ。最悪に事態まで想像して、ショックを受けないように身構える。 駐車できないかもしれないな、その手前で引き返すかもしれない、いやそれすらできなくて車内が凍るかも。
夫の楽観は、ある意味妻にとっては無責任と紙一重。それくらいは学んださ。
そしていざ吉祥寺を過ぎ、深大寺に近付くと、車がぴたりと止まる。深大寺渋滞だな、こりゃ。悲観シミュレーションその1が実現しただけよ、と妻は思う。
さあいよいよ動かない、ってときに、夫が地図を眺めていたかと思うと細い脇道に左折した。きゃー、出た。脇道入ってあてもなくさまようバージョンの始まりだわきっと、とあくまで悲観的な妻。
と、これがすいすいと細い道を進み、ふと左を見ると臨時駐車場。 おおー、こんなこともあるのね。しかし夫はなぜか右折のウィンカーを出していたので、「左!左!」と後部座席からまるでドリフを観ている小学生のように叫ぶ。 ※視界が違うんでしょうか。よくあります、こういうこと。
もし右折してたら「あああああ」と声にならない叫びを飲みこんで、いささかぎこちない車内となったことでしょう。
無事駐車、娘を連れて深大寺に無事到着。無事無事無事。はー、奇跡だよこりゃ。
あそこで曲がってよかったね、ショートカットになってよかったね、駐車できてよかったね、と夫の労をねぎらうと、「地図見てるんですけど」とあくまで夫は冷静。彼にとっては奇跡でもなんでもなく、当然の帰結なのらしい。
あー、そうね、妻の悲観は、取り越し苦労とも言う。
おそばは美味しかったし、そば湯に至っては至福だったし、バラは見事に満開で、妻大満足。
ところで、いつから私は風景に感動するようになったんだろう。 「バラ満開」と聞いても「はーん」「ふーん」としか思わないくせに、実際目にすると「うわーきれい」「うわーすごい」といちいち大興奮。
中学生のとき、母との北海道旅行で「移動中の電車で寝るな」と叱られたこの私が。眠いから風景なんてどうでもいいよ、とふてくされていた私が。
不思議なもんですね。
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