日記帳

2004年06月21日(月) 寝かしつけながら思うこと

入院し始めて2週間。今の病院に来てから11日目。

おかげさまで娘は大変安定している。これといった検査もない毎日。

ただ、3度の食事とおやつの前に血糖測定があり、インスリン注射があり、食後二時間で血糖測定をしている。

たぶん朝は7時頃起きて、朝ごはんやら入浴やらを看護婦さんに手伝ってもらい、柵の上がったベッドでひとりで遊び、昼ごはんを食べ、眠ければ昼寝し、おやつの頃にはオカーサンがやってくる、と病室の入り口をチラチラ見て過ごしているのだろう。

オカーサンの顔を見れば少し心が緩んで、つい涙のひとつも出て、よしよしと抱っこされ、それで娘は気が済む。ついでに「ちゃみちかったの(寂しかったの)」「ちゃんと待ってた」という殺し文句を並べてみたりする。ああ殺される。

おやつのあと18時の夕飯までの間に、可能なら実家のばばが来たりもする。夕ご飯を食べ終わる頃、ばば退散。以後は消灯までオカーサンとまったりする。

娘のいる病室は、20時消灯。年齢が低いためだ。同じ小児科でも他の部屋は21時が消灯なので、20時に部屋の電気が消えてもしんと静まり返ったりすることはない。むしろ看護婦さんの就寝前巡回が始まって、器具の触れ合う音やら、消灯前を一瞬でも惜しむようにはしゃぐ中高生の患者さんたちの声が響いてくる。

そんな中、私は娘にバスタオルを掛け、胸の辺りをとんとん叩く。前の病院のように、添い寝はできない。禁止されているから。
※転院初日に、うるさがたの年配看護婦さんに厳しい口調で咎められた。彼女は言いにくいことを微笑んで言わなくてはいけない仕事柄なんだろうが、正直あったまきた。添い寝して壊れるベッドなんか置くなよ>小児科。

娘はそれが病院での就寝スタイルと理解しているらしく、「とんとんちてくだちゃい」「おふとんかけてくだちゃい」と丁重だ。

転院してすぐは、面会も20時までという決まりなので、娘が寝ようが寝まいが20時に病室を出ていた。当然娘は泣く。数日後には看護婦さんに抱っこしてもらえれば、さほどカーサンを求めなくなり、ほっとするやらさびしいやら。

が、どうも看護婦さんとしても、どうせなら寝かしつけてからカーサンに帰ってほしいらしい。手が足りないのだ。

それがわかってからは、21時近くなろうがなんだろうが、カーサン娘が寝るまでとんとんし続けている。看護婦さんもなにも言わない。

完全看護をうたうなら、もっと人員を増やすべきだ、この病院。

近所の小児科で大きい病院に転送します、といって美人女医は3つ候補を挙げた。大学病院がふたつ、都立がひとつ。

自宅から近いほうがいいとか、知人がいるとか、かかったことがあるとか、ひとそれぞれ入院する病院を選ぶ条件はあるだろうが、カーサンあいにく何一つ材料を持っていなかった。

そのとおり女医に話すと、一番スタッフが揃っているのがここ、というのを3つの中から選んでくれ、カーサンそれに従った。

その病院にいるときにはたいして思わなかったけど、なるほどあそこはスタッフの数は膨大だった。患者数も桁違いだったが。

真夜中でもナースステーションに10人近く常駐している。あれならナースコールも呼びやすい。すぐ来てくれたし。

転院して、初めてそれがわかったよ。今いる病院、ナースステーション巡回のたびに空になってしまうのだ。点滴装置が鳴ったって、なかなか来てはくれないよ。

病院は入ってみないとわからない。とつくづく思うのだった。

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おまけ:

病院を選ぶときに、新しくてきれいなら都立だな、なんせドラマにも使われたし、と思い、そんな皮相な条件を考えついた自分があさはかで嫌だったが、今になってそれは案外的を得た条件だったのかもしれない、と思う。

病院は新しい方がいいよ。

今いるところは築40年以上経っている。空調設備をはじめ、なかなかお粗末な、昔ながらの大学病院ってかんじがする。
※まあそれを「ひでえところだな」と義父に指摘されるのもオツなもんだが。

病院は弱ったひとが集うところだ。まして入院となったら、患者は病室が全世界になる。景色すら選べない。

自己治癒力が上がるような環境を整えた病院を、新しさという基準で選ぶのはけして間違いではないんじゃないかと私は思う。


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