日記帳

2004年07月20日(火) 普通であること 連続していること

昨日アップした分を読み返したら、まるでストレスフルな12日間のような書き方。いやいや、そんなことはないのですよ。

義母とは同じAB型のせいか(かなり薄い根拠)、とても気が合う。
彼女に対しては、実母には出来ない甘え方が出来る。
うまく距離感が取れるといおうか、とてもよい感じなのだ。

彼女と出会えたことで、夫との結婚を幸運と思えるくらいだ。

また次回会えるのを楽しみにしている。娘も私以上に楽しみにしているだろう。

ただ今年の夏は夫が多忙を極めるらしいので、休みらしい休みが取れるかどうか。大阪に帰省するのも遅くなりそうだ。

ま、辛抱切れればあちらからやってきてくれるので大丈夫・・・ってなにが大丈夫なんだ。誰の辛抱が切れるのか。わはは。

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残念ながら行くことが出来なかったオーキャンの日が過ぎて、娘と二人の平日の生活が再び始まって、また私はスガシカオを聴き始めた。

入院中も、病院への往復やらなんやら、ひとりの時間はたっぷりあって、それこそ聴き放題だったはずなんだけど、どういうわけだか聴く気になれないことが多かった。

どちらかというと、頭の中で同じ曲を何度もリピート再生しているかんじ。

耳から直接入ってくるのが少し辛かったのかもしれない。

退院直前の日、これでひとりの時間はおしまいだな、とちょっと名残惜しく思ったりもしたけど、やはりあれは特別な時間だった。

ひとりでアルデンテの辛いパスタを食べることが出来ても、ゆっくり本屋を徘徊することが出来ても、心底楽しめるわけでもなく。

娘の入院というのはある意味非常事態なわけだけど、それを「非常事態だ」と私は認めたがらない。日常の続きだ、普通のことなんだ、とことさら普通を装っていた。

通常運転としてでなければ、やってられない。

我ながらどういう心理なのかわからないんだけど、確かにそう思っていた。

連続している、切り離されていない。それがとてもポイントだった。

初めて付き添い入院した翌朝、病院からいつもの巡回サイトのつぶやきを見ては、変わらず通勤したり在宅でお仕事したりしている様子に激しくほっとした。

唯一外界とつながっている気がした。

ふと出産後の入院生活を思い出し、当時はサイト巡りも今ほど活発でなかったなあ、これがあったらもっと楽だったのに、と当時の自分を慰めてやりたくなった。

・・・変?依存症?中毒?

なんと言われても、私はいろんな形で力をもらった。今も、確実にもらっている。


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