日々雑感
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夕方から渋谷のスタジオで練習。クリスマスイブの渋谷の人ごみの中を、大きい太鼓をかついで進む。ボンボという名前の南米の太鼓。1月に小さい演奏会があるので、そのための練習である。
楽器を演奏したり、歌を歌ったりすると、ふだん使わないところが開かれるような感覚をおぼえる。世界の裏側がふと垣間見えるような気がすることもある。あるいは、小さな裂け目から、果てのない、底なしの世界の断片が見えるといおうか。いつもそうだというわけではないが、そんな瞬間がときどきやってくる。
みっちり3時間ほど練習して、スタジオ近くの店で軽く打ち上げ。太鼓やらギターやらをテーブル横に積み上げて、ビールを飲む。今年も演奏ができてよかった。
夜、NHKアーカイブスでドラマ「安寿子の靴」を見る。「安寿と厨子王」をベースに、中学生の少年と家出した幼い少女との数日間の交流を描く物語で、1984年の作品。物語の筋は全然覚えていなかったけれど、改めて見直して、やっぱりよかった。このドラマで繰り返し現れるのは水のモチーフである。水の音、水の光、水の感触。そうした水の映像と、流れ流れて、どこへ辿りつくかもわからない少年と幼い少女の道行きが重なる(舞台は京都・鴨川である)。
生(なま)のイメージをそのまま差し出すことが映像ならではの特徴だとすれば、その特性を存分にいかした作品だと思う。ドラマや映画は饒舌でないほうがいい。台詞ではなく、映像で伝えてほしい。この「安寿子の靴」と同じ、唐十郎脚本・三枝健起演出のドラマを他にも見直したくなる。関内の「放送ライブラリー」にビデオが残っているようなので行ってみようかと考える。今年もあと一週間だけれども。
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