日々雑感
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2002年01月22日(火) 陸地を目指すクジラ

ほんとによく晴れた一日。あんまりいい天気なので、電車を途中で降りて大学まで歩く。

大通りを避けて、近道を選ぶ。お寺の中を突っ切っていく道だ。細い階段をあがるとお墓が広がっている。お墓の間に大きな桜の木が何本も立っている。今は枯れ枝だけれど、その細い一本一本が青空を背景にくっきりと見える。ときおり、お墓の間を猫が歩いてゆく。何匹もいる。春になれば、ここにも桜が咲くだろう。もう、そんなに先の話ではない。黒い幹と白い桜と、その下をゆく猫。

お墓を抜けて、大学までは坂道をだらだらと下ったり上ったり。昨日の雨のせいか、構内の木がみんな生き生きしている。葉っぱはついてないが、そう感じる。研究室に行くと、皆で百人一首をしていた。試験期間あいまのひととき。

帰って新聞を見ると「クジラ14頭漂着」の記事。22日の午前8時過ぎ、鹿児島県大浦町の海岸に、クジラ14頭が打ち寄せられているのを通りがかりの人が発見したという。水族館の人は「集団で陸地に上がったり、迷走したりする『マス・ストランディング』ではないか。」と言っているらしい。まさに安部公房が『死に急ぐ鯨たち』で取り上げていた現象だ。耳や脳に寄生虫が入り込んで感覚器官を狂わせるのではという説にも触れつつ、安部公房は、哺乳類であるクジラが、かつて陸地で酸素を吸って生活していた頃の記憶を不意に思い出し、「溺れ死ぬのではないか」という不安にかられて一斉に陸地を目指すのではないかと述べている。

不意に、どうしようもない不安にかられることがあるのは、きっと人間も同じだ。冷静に考えれば、こうして何事もなく地球上に生きていることのほうが不思議なのだから。この世界というのは簡単にひっくりかえるのだ。地震がくるかもしれない、火山が噴火するかもしれない、あるいは事故や病気もある。ほんとに、次の瞬間には何が起こってもおかしくはないのだ。日々の雑事の中で忘れてるけれど、ふとした瞬間、自分たちがいる状況の危うさにぞっとする。

それでも、危ういからこそ、この世界を愛しく思う。その危うさをひきうけて、しっかりと立っていられたらと思う。夜、布団に入って電気を消して寝付く前の時間、しんと静まりかえった中で考える。まだ、世界が終わりませんように。目が覚めたときも、まだそこにありますように。春がきて、変わらずに桜が咲きますように。


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