日々雑感
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2002年01月24日(木) |
言葉で世界をつかまえる |
『読書癖2』池澤夏樹(みすず書房)を読んでいたら、子供のころは本を読んでいてもわからないことが多かったという話がでてきた。たしかに、そうだったなあと思う。
小さい頃、楳図かずおの「まことちゃん」を読んでいて「高田馬場って何だろう。」とずっと思っていた(「まことちゃん」には高田馬場がよく出てくるのだ)。聞くと「東京にある街の名前」と教えてくれるが、うまくイメージできない。東京に出てきて実際に高田馬場に行ったとき「これが高田馬場か!」と真っ先に「まことちゃん」のことを思い出した。
また、何かの本に出てきた「分別」という言葉。親に聞いたら説明はしてくれたのだが、やっぱりうまく呑み込めず、ずいぶん長いこと疑問に思っていた。今思えば、難しいことを聞いたものだと思う。自分だったら、きっと説明できない。
最近になってようやく意味がわかった言葉もある。実家のある辺りは「ヨウマンジョ」と呼ばれていたのだが、親や大人たちが「ヨウマンジョの〜さんが」とか「ヨウマンジョに行ってくる」とか言っているのを、特に疑問ももたずに聞いていた。それが、ふとしたことから「ヨウマンジョ」が「養鰻場」であるとわかったのだ。何でも、以前その辺りに大きな鰻の養殖場があったらしい。親たちは「ああ、知ってるよ」とさらりと言うけれど、養殖場など跡形もない今、自分たちの世代にとっては「ヨウマンジョ」は「養鰻場」という意味を失って、響きだけの記号になっている。けれども、そこに鰻の養殖場や行き交う小舟を思うとき、目の前の風景は一変する。
小さい子が言葉を覚えていく過程を再体験したような気分だった。響きを口にするだけでなく、そこについてくる意味を理解することによって、目の前のものがはっきりとした像を結ぶ。焦点が合う。そんなふうにして、ゆっくりと世界をつかまえていくのだろうか。
夜、近所に住む友人と「デニーズ」へ。コーヒーを飲みつつ、とりとめもなく喋る。そういえば上京前は「デニーズ」というのも謎だったなと、ふと思い出す。
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