日々雑感
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2002年02月03日(日) |
言葉の断片を抱えてゆく |
朝から雨。雨の朝はなぜだかよく眠れる。窓から陽射しが入ってこないせいか、雨の音がちょうどいいのか。
昨日早稲田の古本屋で見つけた『100杯目の水割り』東君平(講談社文庫)を読む。東君平さんが、さまざまな人々についての思い出を書いているもの。中に君平さんが一番大切にしている本について語った章がある。その本というのは外村繁の『阿佐ヶ谷日記』なのだが、君平さんはこの本からある詩を引用している。引用の引用ということで、これは孫引き(原文は旧字体)。
私はどこから来たのやら 私はどこから来たのやら いつまたどこへ帰るやら 咲いてはしぼむ花ぢややら 鳴いてはかえる小鳥やら……
こんなふうに、ある本の一節が忘れられなくなることがあると思う。文脈とか全体の筋とか関係なく一文や節回しだけが残って、だんだん、どこにあった文章なのかもあやふやになってくる。自分なりに言い回しを変えてしまっていたり。
「なんでこんなにさびしい風吹く」
山頭火のこの句がとても好きで、何かというと浮かんでくるのだが、どの句集を読んでも見つけられない。風を詠んだ句はたくさんあるのに、この一句がない。ほんとうに山頭火なのか。ひょっとしたら、山頭火について語った誰か他の人の文章中にあったくだりなのか。ずっと疑問に思いつつ、この句だけはしっかりと覚えている。
もちろん本に限らない。映画やドラマの台詞から、誰かに言われた言葉や誰かが発した言葉まで。いろんな言葉の断片を抱えている。
節分だが豆も太巻きも食べなかった。夕食は餃子。「節目」気分盛り上がらず。
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