DOTFAMILYの平和な日々
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2011年04月13日(水) |
経済活性化のための無駄使い |
以前、どこかに「新聞のコラムを毎日書き写すと日本語力が向上する」と書いてあった。で、社説を書き写してみようと思ったら、余りの量の多さに辟易し、天声人語でごまかすことにした。それ以来、毎日とは言わないが、出来るだけ毎朝、天声人語を音読した後、書き写すことにしている。(5日分だけならインターネットで無料ですから。)
ダンナが友人と食事に行くという。奥さん同伴だからお前も来い、と言われた。普通だったらぶ〜たれるところだが、いつだったか天声人語で「経済活性化のための無駄使い」を奨励していたことが頭の片隅に残っていて、珍しく素直にOKと言った。
で、先週の土曜日、Joe’s Club Shackというレストランに行った。蟹ですぜ、蟹!私は蟹が大好きなのだが、高いので10年に一度食べれば良い方である。(貧乏なんだよ、仕方ないだろ!)ダンナと友人とその奥さん、全員日系人であるのだが、日本語を話せるヤツは1人もいない。例えいたとしても、初対面の人と話すことなど何も無い。ましてや毎日一緒にいるダンナと話すことなどもっと無い。楽しいお食事会になるとは思えないが、蟹だからいっか。経済活性化の役にもたつし。
ちなみに、このレストラン、蟹しかない。貝類がついてくるセットがあって、ダンナはそれを注文していたが、蟹屋に行って蟹以外のものを食うのはもったいないだろう。で、その蟹であるが、基本的には脚が茹でてあるだけである。自分で殻を剥いて、溶かしバターに浸して黙々と食べる。これが・・・うまい!(茹でたとうもろこしとイモが添えてある。サイドに小さなサラダやスープも注文できる・・・と考えてみれば蟹以外にも色々あるのだな。)
剥く、バターに浸す、食う・・・会話なんぞ無視して、ひたすら食いまくった。
蟹に完全に集中している私にあきれたダンナが、時々私に話題を振ってくるのだが、蟹食いながら話が出来るか?というか、食事をしながら話をするということが私には上手く出来ない。
余談だが、学生時代、仲間と一緒に食事をする時、若い女子大生であるので、もうとにかくしゃべりまくりでいつもかなりうるさい状態なのだが、食事が出てくると全員が一斉にしゃべるのを止め、ひたすら食いまくる、というのが常であった。ある時、合コンっていうのかな、男子学生も交えて食事をした時、その余りの変わり様に、男性全員が唖然としてしまったことがある。我ら若い女子大生は、男性達が唖然としているのを言いことに・・・食いまくった!早い者勝ちの世界なのだ。完全に「色気よりも食い気」だったのだ・・・そして、それは今でも変わらない。というか歳を経るにつれ、磨きがかかっている。(多分、当時の仲間も同様だと思う。)
私はマルチタスキングではない!
と宣言し、会話を無視してお食事に集中していたのだが・・・ふと気がつくと、ダンナの友人の奥さんも同じ状態であった。このレストランは彼女のお気に入りで、よくここに来るそうである。だから慣れている。次々に剥いた殻をテーブル中央に置いてあるバケツの中に放り込んでいく。「まだちょっと足りから、とうもろこしとポテトも食べようかしら。」という感じで、蟹を食べ終わってから添え物を食べ始めた。そして、食うのが早い私よりも早く食べ終わった。
食べ終わってふぅ〜と深呼吸をしている彼女に向かって、ダンナが「蟹が大好きなんだね」と言うと・・・
「自分で料理しなくていいのなら、何でも好きよ。」
うっ、お友達になれるかもしれない。
ところで、彼女の方が私より早く食べ終わった理由は、彼女の方が手際が良かっただけではない。このレストランは手で食べるのが基本なので、ナイフやフォークの類は出てこない。前菜のスープやサラダに付いてきたフォークやスプーンは、蟹が出てきた時点で下げられる。蟹に付いてくるのは殻を割ったり切ったりする道具だけである。これでは殻にこびりついている身が取れない。彼女はそんな事を気にせずに、ひたすら食うのだが、私は、いちいち剥いた殻を確認し、身が少しでも残っていると、脚の先の細くて尖っている部分を使ってこそぎ出さずにはいられない。そして、最後には身をこそぎ出すのに使った脚先まで丁寧に割って中身を食べるのだ。金持ちと貧乏人の違いだという見方もあるかもしれない。が、私はこれを蟹に対する礼儀の違いだと考える。
久しぶりに好物の蟹を食べて、満足して家に帰ってからふと思った・・・
天声人語の「経済活性化のための無駄使い」は、東日本大震災後の日本の経済の話で、アメリカの貧乏人には関係無いのではなかろうか?
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