DOTFAMILYの平和な日々
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2011年04月21日(木) がんばれ日本

ダンナが「がんばれ日本」と書いてあるTシャツを買ってきた。

ウエスト・コビナにある日系コミュニティ・センターの義援金集めのためのTシャツである。買う前に写真を撮って私も欲しいか聞いてきたのだが、私は即答で“Iranai!”と返事を送った・・・欲しくなかった。

東日本大震災を支援する気がない訳では全く無い。支援する気がないどころか、私に出来ることがあれば(義援金くらいしか出せないけど)やりたいと思っている。が、このTシャツはイヤだ。

「がんばれ日本」の「がんばれ」に抵抗があるのだ。

「がんばれ」という言葉が嫌いなわけではない。嫌いどころか、比較的良く使う。

例えば、運動会などで競技に参加する子供に「がんばってね」と言う。この場合、その子が我が子であったとしても、かけっこで一位になろうがビリになろうが、どうでも良い、と私は思っている。本人にとっては大切なことであるかもしれないが、わたしゃそんなことどうでも良い。ま、途中で止めるなよな、くらいの気持ちで「がんばってね」と言う。

例えば、休日出勤をしなくてはならない人に対して「がんばってね」とも言う。これは「頑張って仕事しろよ」という意味ではない。「メンドウだろうけど(イヤだろうけど)、仕方ないよね。とりあえず行ってらっしゃい。」という程度の意味である。

また、誰かと何かを一緒にやろうという時に、「がんばりましょうね」という事もある。これは「よろしくお願いします」のバリエーションの1つである。大抵の場合、自分は頑張ろうとは思っていない。私は頑張るのは嫌いなのだ。

が、一番良く使うのは自分に対してである。これは正しい使い方をする。自分を励ます時、特にくじけて諦めてしまいそうになる時に、自分に「頑張れ!」と言い聞かせる。「もう一踏ん張り!」「止めるな!」「止まるな!」というのと同じ意味で使う。が、くじけそうになっている時、諦めようとしている時、「頑張れ!」と人から言われると・・・

そういうお前がやってみろ!

と腹が立つ。

だから、本当に頑張りが必要な人に対しては私は「がんばれ」とは言わない。必死になって頑張っている人達に対して「がんばれ」なんてとてもじゃないが言えない。

という訳で「がんばれ日本」と書いてあるTシャツは私は着ることは出来ない。


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