オリンピックが終わった。なんか知らんけど今回のオリンピックはやけに泣けた。
各競技、それぞれにドラマがあり、いろんな場面でうるうるしちゃったんだが、マユゲ的には今回は柔道が熱かった。表彰台で母の遺影を掲げた井上の「金」、「誤審」という流行語まで生んだ篠原の「銀」。でも、マユゲが強く心をうたれたのはそれ以外にあった。それは、金メダルに輝いた、ある男と女の柔道家の闘いである。
田村亮子、八年越しの金メダル奪取を賭けた、女子48キロ級決勝。「世界の田村」はここまで、あるときは豪快に相手を投げ飛ばし、またあるときは淡々と試合の流れを読んで優勢を勝ち取り、言わば順当に勝ちあがってきた。バルセロナ、アトランタ・・・・・過去二回のオリンピックでの敗戦。八年間で負けた試合はその2試合のみだという。
どうしても勝ちたい。金メダルが欲しい。
まあ、そりゃそー思うわ。でも彼女のすごいところは、そのひとつの想いを8年間唯ひたすら追いかけられたことだ。しかもそれが世界の超トップクラスのレベルで、である。できないぜー、凡人には、マジで。何を犠牲にしてでも、あるものが欲しい、あることを成し遂げたいという意志。そのことのすごさが今、この歳になって分かってきたような気がする。
決勝試合場の畳に上がる直前の田村を国際映像が捉える。気合、入ってる。マユゲの口から、思わず「おーっし、田村。いー顔してるじゃない。」という言葉が漏れた。「鬼気迫る形相」とかって言っちゃうと、なんかフィクションっぽくて正確じゃない気がする。スポーツをやるものが「闘う」ときの「いい顔」なのだ。元・広島東洋カープ 亡・津田恒美投手を思い出す。
マユゲは早くもその「いい顔」だけでうるうる状態。大事な用事があって出かけようとしていたマユゲだったが、足が貼りついてしまった。そこにたどり着くまでに彼女が味わってきた全てがその顔に凝縮されているかのようなんだもの。なにも悲しい話だけで涙腺が反応するわけではないのね。
しかも、田村の試合の直後に同じく決勝を控えた、男子60キロ級の野村にもこの「いー顔」がうかがえたもんだから、この日の柔道中継は実にお得であった。
四年前のアトランタ。魔物が住むといわれる五輪であっさりと世界を極めてしまった男は、その後目標を見失い、国内の試合でも勝てずに代表もれするなど、天と地を味わったという。
しかしシドニーの決勝会場横の控えスペースに立っている野村は、前回の五輪とは、「顔」がちがった。たかだか四年で人の顔なんてそう簡単に変わるもんじゃない。でも野村は明らかに違う顔になって、五輪決勝の畳に帰ってきたのだ(横で大あくびしているボランティアスタッフ?のオージーぽっちゃりネーちゃんは笑えたが)。
俺ら凡人でもそれなりに「つらいっす」とか感じたりしているわけだから、世界の舞台で活躍する人には凡人には予想もつかないような苦労がふりかかっているんだろう。その分、成しえたときの喜びも計り知れないもんなんだろうね。
TOYOTAイプサムのCMで「つくられたヤワラちゃん」を見たときは、「おいおい、確かにトヨタ社員で、トヨタ的にもオリンピックを応援してるからって、こんなブサイクちゃん、CM出すなよ、頼むから」なんて思ったものだが、この日、表彰台の一番高いところで見せた田村の笑顔は確かにきれいだった……。
同じく、女子ソフトボール高山投手(サンバイザーのおでぶちゃん)、決勝惜敗後のインタビュー時の顔も、 とてもきれいだったな。
「いい顔」話ついでに、もひとつ。
サッカー五輪代表壮行試合。控えの吉原コータが2ゴールを決めたとき、画面中央で喜ぶ吉原の後ろ、ピンはきてないがぼんやりと「いい顔」をしている奴が見えた。平瀬である。レギュラーは自分だが、決めたのは控えの吉原。チームとして、仲間の得点はうれしい。でも一人のフォワードとしてはすごく悔しい。そんな顔だった。
日の丸のために闘っていたかつての代表たちと違い、今の日本代表は自分のために闘っている。すごくいいことだと思う。だから彼らは俺らにとって、とても新鮮で、魅力的なんだな。
自分のために闘う。 すべては最高の自己満足のため。
「ジコマンする」ということは、ときに「納得のゆく」とか「完全燃焼する」とか言い換えられたりするが、 やっぱり結局この「ジコマン」が、人を飽くなき挑戦へと掻き立てる究極の原動力であり、「意志のもと」になっているのかも。
まとまりなく、ガーっと書いてしまったけど、なんかそんな気分。
2000年10月05日(木)
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