「妻は俺の気持ちなんて分かっちゃいない。そもそも分かろうなんて気もない。それに俺、日本まで来て、なんでこんなくだらない仕事やってんだ?」 (50代・男・俳優)
「旦那が私のことを気にしてくれない。仕事で忙しいって。だからといって、一人で何をして生きていきたいかのかも、分からない。私、心が渇いてる」 (20代・女・主婦)
そんな二人のアメリカ人。お互い赤の他人だ。二人は今、短期滞在で東京にいる。同時期に同じ新宿パークハイアットに宿泊しているのは、ただの偶然でしかない。
二人とも日本語は話せない。はるばるやってきた日本だが、雰囲気に馴染めない。それぞれの部屋で、眠れない夜を過ごす二人。同じような寂しさを胸に抱いているのも、偶然?
二人は出会う。同じ言語で、Translation(通訳)なしで話せる相手。それでもお互い、多くを語ることはしない。とりとめもない話で、笑い合うだけで十分なのだ。
あなたと話していると、とても落ち着くわ。 ただ君とこうして、肩を寄せ合っていたい。
そんな思いも、言葉にはしない。そこにあるのは、シンパシー? それとも……? 微妙な感情は、本人たちにも分からない。ただ、心を通わせる相手として互いが求め合ったということ。
これはきっと、必然。
◇
今日観た映画『Lost In Translation』の話だ。笑えて、切なくなれる話だった。東京にいる日本語を話せないアメリカ人、という設定が、「通じ合えない違和感」と「通じ合えることの安らぎ感」を際立たせていた。
そこでふと思った。 「でも、東京にいる日本人どうしだって、みんながみんな通じ合えるわけじゃない」
シネマライズを出てスペイン坂を下り、センター街をかすめて駅前のスクランブルへ。すれ違う人は当然みな日本人。自分たちが世界の中心であることを疑わない若い男女や、必要以上に不機嫌なスーツ姿の男たち。彼らと話をしようと思ったら通訳はいらない。それでも、この全員と通じ合える自信はない。
そう考えると、「通じ合えるって、すごく貴重」。 仲間、家族、彼女――。大切な人の「心の声」が聞けるようになりたい。
We don't need any translation between us. That's wonderful thing, isn't it?
2004年05月11日(火)
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