最強の星の真下

2002年03月07日(木) 世の中にいるらしい2種類の人間。

・・・消えた。
いや、誰しも一度や二度や三度や四度、やっている事だと思うけれど、何度やっても何となく哀愁漂ってしまう。途中の操作ミスで日記消去。
あああっせっかく久々に真面目な話を書き綴っていたのにっ!

マーフィーの法則。珍しい事をやる時ほど、その努力は無駄になる。

何度もやる前に学習しろ、という話もあるが、モノグサくんにそんな理屈は通用しないのだ。

もうさっきのテンションでは書けないし。仕方がないので別の話題。
本日非常に興味深い一節を読んだ。
理系と文系の差に関する、森博嗣のエッセイ(『森博嗣のミステリィ工作室』)で。

「理系は文系に対して上位互換だ。自分は数学ができない、と勝手に思い込むことで、この集合の中に逃れた人たちが文系だが、理系の人間から見れば、同じ集合、特に差を感じない。理系の人間は人間をタイプ分けなどしない。」

ちょっとした衝撃だった。「文系」「理系」というタイプ分けをする人が、いるんだ、という事が。
更に、「文系」の人は「理系」の人と差を感じているらしい、という事が。
「理系の人間から見れば」特に差を感じない、というのはつまりそういうことだ。

勿論今までだって「理系」だとか「文系」だとか、そういう言い回しを聞いたことはよくあったけれど、それはあくまでも「理系の学科を卒業した人」と「文系の学科を卒業した人」とか、「理数系のお勉強のみが得意な人」と「文系のお勉強のみが得意な人」、或いはそれら学習科目の違いに基づく言葉の表現の仕方の違いであって、それら二者の思考回路に差(或いは違い)があるとは認識されていなかったようだ。
勿論、私の中には「文系でも理系でもない人」という分類も存在している。つまり「文系のような理系のようなどちらともつかない学科を卒業した人」「文系のお勉強も理系のお勉強も得意な人」「どちらも苦手な人」がこれらの集合に入る。

つまり私にとって「理系」「文系」とはその程度の認識であった。
色々な人がいるのだからそれぞれ違って当たり前。違いは個々の間にこそある。
それが、幼い頃からの私のスタンダードだったのに、実は世の中には文系人間、とか理系人間、とか、そういう変わった仕分け方で、それら二者の間に何らかの差異を感じる人がいる!そしてそれはもしかすると少数ではない!

・・・世の中は驚きに満ち溢れている。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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