最強の星の真下

2003年01月18日(土) 懐かしいゲームの話。

導入見送りのはずが、いきなりEdyによろけ中。

・・・東京ドーム大リーグ戦チケット先行予約か・・・魅力的だ。

いやしかし。いやいやでも。・・・もう少し考えよう。



以前からずーっと探していたゲーム、『太陽の神殿』。
前プレイした時は終わらせられなかったけれど、印象的なゲームで、どうしても最後まで見たい。でもゲーム自体が見つからないのだ。

この前WEB検索をかけたのは、2年くらい前だったかな。
その時は販売情報等が全く引っ掛かってこなくて、とてもがっかりした。
もう売っていないんだろうな。店には勿論置いていないしパソで探してもないのだし。PC88版だったのだから、万が一入手出来てもプレイ出来ないしね。
そんなふうに自分を納得させていたのだが。

つい先日ふと思い出して、また検索をかけた。
なんと。
見つけた。

ボーステック株式会社というところのEGGプロジェクトという企画で、懐かしのゲームを今のパソコンで動くようにリニューアルして頒布しているというではないか。

頒布している懐かしのゲームメニューには燦然と『太陽の神殿』の文字が。

何と素晴らしい企画なのだ!絶対買うよ、ボーステック!

十何年も前にやったきり(←しかもハマリパターンに落ちてクリアできず)のゲームにこんな所で出会えるとは思いもよらなかった。

メニューを見ていくと、懐かしい名前が沢山並んでいる。

『原宿After Dark』ああ、昔プレイしたなあ。もう推理できているのに、それぞれの容疑者をぐるぐる訪問して何度も聞かないとストーリーが進まない、少しイライラするゲームだった。でも物語は面白かった。

『Ys』グラフィクスが結構綺麗で好きだった。確か最後までプレイ出来た数少ないゲームの一つ。・・・ボスが出てくる度、弟くんにプレイさせたゲームがこれだったような気もするけれど定かではない。

『夢幻の心臓』弟がハマっていたけれど私はすぐ挫折したゲームだった。後のシリーズは全部、弟くんがプレイしているのをちょっと眺めておしまい。あ、エンディングは見せてね、と終わった後に言ってボスキャラを2度倒させたのはもしかするとこれかも。

『ルクソール』全く駄目だったシューティングゲーム。弟くんにぼろくそに言われた。

『ザナドゥ』これは面白いからぜひやって見ろ。と弟くんがせっせと私の分のセーブ用ディスクを作ってくれたのにあっという間に挫折した。・・・面白さが分かる前に何度も何度も敵に負け、全く話が進まなかったのが敗因と思われる。

『Murder Club』初めてやった推理物ゲーム。原宿After Darkより前にプレイしたので新鮮だった。でもやっぱり犯人の目星がついてもストーリーを進めなくてはならなくて弟くんと共に文句を言いながらプレイした。

『覇邪の封印』確か体力などの状態が横バーで表示されていて、プレイしやすかった記憶がぼんやりとある。とても面白くて填った記憶もぼんやりとある。ボスキャラを倒せなかった記憶もぼんやりとある。終われなかったということか?

『アステカ』ゲームを始めた初っ端に私も弟くんも行き詰まり、攻略方法なども解らなかったのであっという間にやめたゲーム。コマンドを文字で入力しなくてはならなかったのでとても面倒だった。

『ハイドライド』姉貴には無理だ。の一言で私は初めからやらなかった、弟くんが填っていたゲーム。敵キャラを倒すのが結構難しいと弟くんに説明された。

『マンハッタンレクイエム』Murder Clubのシリーズだと言われて嬉々としてプレイした。その頃はもう私が最後までプレイ出来るような簡単なゲームは少なかった。・・・弟くんが選んでくるのが難しかっただけかもしれないが。シューティングとかボスキャラにあっという間にやられるRPGとか。


88の頃の方がゲームを結構やった気がする。
98になってからはもうあまりやらなかった。
ゲームが前より複雑になり週に一度かそこらたまにプレイするだけでは覚えていられないとか、複雑な地図作りをしなくてはクリアできないなど手が掛かるから面倒とか、そんなあれこれで段々ゲーム離れした。


そういえば88が家に来たきっかけはテレビゲームだった。
友人宅にテレビゲームがあった。いいなあ面白そうだなあ欲しいなあ。
そんな事を言っていたある日、父が家に大きな荷物を運び込んできた。
88マシンだった。

これでゲームが出来るぞ。

・・・父は父なりに考えたのだろう。どうせならテレビゲームよりパソコンゲームの方が多種多様で楽しいに違いない、とかパソコンに今から慣れるのも良かろう、とか色々。そして奮発してくれたのだと思う。だがしかし。

DOS-Vだったか何だったか、よく分からないが、とにかくスイッチを入れた後フロッピーを読み込ませるのにコマンドを入力するとか、説明書には山のようにコマンドとやらが並んでいたが。

・・・機械音痴にパソコン与えて何をやらせようと思っていたのですかお父様。

無理。絶対使いこなすの無理です。

という訳で、次第にパソは弟くんのおもちゃと化していったのだった。
まあ自然な流れである。
そして弟くんがせっせと自分と姉のためにゲームを買ったり借りたりしてくるようになった。勿論私も費用は負担した。
ブロック崩しを探して、あったら借りてきて、とか、結構無理難題を言ったものだ。当然無かったけれど。

あの頃はフロッピーディスクも高価くて、そんなに何枚も何枚もセーブ用ディスクを作れなかったっけ。だから終わっていないゲームでも、もうプレイしないなあ、とか、終わらせられないからいいや、と判断したゲームのセーブ用ディスクは、次のゲームのためにあっという間に再フォーマットだった。
弟くんと喧嘩をすると、仕返しに私の「しばらく放置しているけれどまだプレイしようと思っているゲーム」のセーブ用ディスクを再フォーマットされたっけ。
きっと、その所為で私はゲームを最後まで終わらせられなかったのだ。
・・・多分。



私が欲しかったのは、ブロック崩しが出来る、単純なテレビゲーム機だったのだけどなあ。


 < 過去  INDEX  未来 >


桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

↑エンピツ投票ボタン
My追加