最強の星の真下

2003年02月02日(日) 昔の事。

もう大分前の一昨日と昨日と今日は、受験日だった。
この時期は雪が降るので要注意だったっけ。
今年は寒かったけれど、晴れて良かった。

入学試験は面白かったなあ。4科目、クイズのようだった。
通り一遍の知識を元に何処までそれを応用できるか試されるのは愉しかった。
社会科ですらそんな応用問題を作ることが出来るなんて、と、とても新鮮だったっけ。それまで社会科といえば暗記問題ばかり試験に出ていたから。

あ、でも学校によっては詰まらない試験だった。
知識を試すだけのありきたりな問題。馬鹿げた幼稚な面接試問。
子供心にも、「この学校は嫌だ」と思ったものだった。


あれから随分と時が流れたけれど、今もあの頃の事は覚えている。
2年半受験勉強をサボりまくっていたので、最後の1ヶ月で知識を詰め込んだ。

年末年始、塾の正月特訓合宿に参加してから、何となく受験の為の勉強もゲーム感覚で楽しむようになった。

学校から帰ると炬燵に入って4科目の総浚い。
これを自発的にやったというのが、我が事ながらスバラシイ(笑)。
夕ご飯の時間以外は寝るまでずっと、お風呂の時も勉強した。

でもこの期に及んでもまだサボって、炬燵にこっそり本を隠しては読んでいたのだけれど。

休憩で蜜柑を食べたり、ちょっとだけと言いながらそのまま寝てしまったり、そんな些細な事も意外と覚えている。



母は、自分では絶対に努力をしないのに、子供の尻をたたいて努力させ、そして子供が良い結果を出すと自分の功績として誇るのが大好きな人だった。いや過去形ではなく今もそうだ。
それで自分が褒められ羨ましがられるのが当然と思っている人である。

なので、母にとって子供の健康は眼中に無かった。
(今も眼中に無いのだが。私が風邪で仕事を休むと、専業主婦の母は自分以外の家族が仕事をしないのが気に食わないので、「残業したって休むんじゃ意味無いじゃない」「大した事無いのに」「どうせサボりでしょう」等と当たり散らす。母は大人になれなかった成人なのだ)

自分が気を配っていると思いたいときだけ食べ物やら飲み物やらを持って邪魔しに来る。
調子が出ているので「後で」というと不機嫌になる。

寝不足で効率が上がらず居眠りをしていると、「遅くまで起きてたって勉強しないんじゃ意味無いじゃない」と怒る。

今日は早く寝る、と言うと、「昨日遅くまで勉強したって今日早く寝るんじゃ意味無いじゃない」と怒る。

その頃、大抵の場合、子供の健康に気を配るのは父だった。
いい加減寝ろ、と私を強制的にベッドに連行するのは、毎日会社から遅く帰ってくる父だった。

私は受験勉強を愉しんでいたけれど、父は「いい加減にしろ」と、よく母を叱っていたようだ。
そういうことがあると母はすぐ、「私は悪くないのに」という自己弁護を、父ではなく、子供である私に向かって言い立てるので、すぐ判る。

「桂蘭ちゃんが自分でやるって言ってるのだから私は悪くないのに」
「別に無理矢理やらせてる訳じゃないのだから私の所為じゃないのに」

父の言い分は、適当なところで止めさせて健康管理をするのが親の役目だろう、というものだったけれど、母は「自分は悪くない」事を周囲に認めさせる事に固執し、でも父に面と向かって言うと、そういう話じゃない!と一喝されるので、子供に向かってよくヒステリーを起こした。

・・・こうして今、あの頃を思い出して書いてみると、結構勉強の環境は良くなかったような気がする。
母とは生まれた時からの付き合いなので、そういうあれこれにはもう慣れていたのだろう。当時はそんなに、環境がいいとか悪いとか、思うことは無かったなあ。




何かというとすぐ「意味無いじゃない」と言い立てる母に、「では努力をしない貴女の人生に何か意味はあるのか」と問うてみたいと思う事がある。
彼女にとってあまりに残酷な問いだと思うので、多分、この先もずっと問うことはないだろうけれど。


 < 過去  INDEX  未来 >


桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

↑エンピツ投票ボタン
My追加