月の輪通信 日々の想い
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朝、登園の途中にアプコが、嬉しそうに話し始めた。
「ねえねえ、オカアチャン、昨日の晩ね、オニイチャンやオネエチャンと、オカアチャンのお誕生 日のお話をしたんだよ。」
次の日曜日は、私の40才の誕生日。
子ども達が、額を寄せ合ってなにやら悪巧みをしているらしいのは知っている。
「あのね、みんなで何か作るんだって・・・。オニイとオネエがね、お買い物にいってね・・・」
「ちょっ、ちょっと待って。それってオカアチャンには内緒のお話じゃなかったの?」
得意げにお話するアプコを、あわてて止めた。
アプコはキョトンとして私に問い返す。
「ないしょって、言ってた?」
「さぁ・・・」
「じゃ、いいよ。ないしょじゃないよ。」
「でもさ、『お母さんにはいわないでね。』って言われなかった?」
「言われた。」
「じゃぁ、内緒じゃん!」
あはは、アプコの秘密はじゃじゃ漏れだ。
私の誕生日は五月の末。
お嫁に来てからは、毎年、工房の恒例のお茶会の時期に前後してつきあたる。
庭掃除やら、おもてなしの準備やらであたふたしているうちに、あわただしく年齢を重ねてしま う。
「あー、今年はまるっきり、重なっちゃった。」
五月のカレンダーには、早々と「清翠会」の文字。
「いいのよ、お誕生日が嬉しい年でもないしね。」
去年は、私がうじうじ愚痴をこぼすフリをしたら、子ども達が内緒で、花の鉢植えをプレゼントし てくれた。
今年も何か、考えてくれているみたい。
「お母さんには言わないでね。」のわくわくする楽しさを、小さいアプコも一緒に味わっているらし いのだ。
「おかあさん、なにが欲しいの?」
ゲンやアユコも時々さりげなくリサーチしているらしい。
「別に欲しい物ないなぁ。愛するオトウチャンとかわいい子ども達がいるからね。」
軽く受け流して、気付かないフリ。
そそくさと引き下がって、再び密談して居るらしい子供らに、ふふっと笑ってしまう。
30代最後の1週間。
やはり今週もお茶会の準備や、遠足、子ども達の稽古事の送り迎えなどで、あわただしくすぎ て行くことだろう。
若い頃には、「40才」といえば、もっと落ち着いて、自分の行き先を見定めている年代かと思っ ていたけれど、実際には昨日、一昨日と変わらぬあわただしい日常の積み重ねがあるだけ で、30代とさして変わらぬ当たり前の日々が続いていくものなのだろう。
毎年進級し、新しい人に出会い、日々成長していく子供らに比べ、家庭を守る専業主婦の日常 には区切りがない。
「今日は久しぶりの晴れ間で、洗濯物がよく乾いた。」
「長いこと、花を付けなかったウツギが今年はようやく花開いた。」
そんな日々の小さな変化が、私の日常の新しいページをパラリとめくる。
「不惑」と言う言葉を、最近、同い年の友人が使っているのを見て、はたと思い出した。
自分の道を見定めて、惑わなくなる年齢がやってきた。
実際には、押し寄せる日常の雑事に流され、「惑う」事すら忘れてしまいそうな日々。
「お母さんは子どもの時、何になりたかった?」
「お母さんは子どもがいなかったら何をしたい?」
子ども達は時々、無邪気に私の人生を問う。
仕事を辞め、結婚し、次々に子ども達を産み、育ててきた。
それだけで、精一杯の30代だった。
その事には迷いも後悔もないけれど、これから先の十年、もっと先の十年を思うとき、子ども達 の問いは「不惑」の文字と共に、私の当たり前の日常に痛い杭を打つ。
「おかあさん、何が欲しいの?」
即答できない私は、
まだ30代のしっぽにしがみついている。
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