月の輪通信 日々の想い
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2003年05月21日(水) 春の落ち葉かき

工房のお茶室の庭掃除に出る。

日曜日のお茶会に向け、落ち葉を集め、伸びすぎた新緑の枝をパチンパチンと払い、雑草を
抜く。

冬場の大がかりな落ち葉掻きと違って、この時期は落ち葉の量は少ないが、庭木の根本から
しゅうしゅうと生え出てきたひこばえや若芽に邪魔されて、面倒だ。

子ども達を使って、「それいけーっ」とブルドーザーのようにすすめる冬の落ち葉掻きは楽しい
が、苔の上に膝をつき、軍手で拾うように常緑樹の落ち葉を集める作業は、おおざっぱな私に
は向いていないように思う。



新婚の頃、新居から工房へ「出勤」してくると、私の仕事は義母と一緒に作品を包装、発送す
る事と、お茶室周りの落ち葉掻きだった。

山の地形のままに建てられたお茶室は、庭木とも山の自然木とも区別できない木々に囲ま
れ、掃いても掃いても木の葉が舞い落ちてくる。

義母は、小さな手箒を手に、膝をついて庭木の裾の落ち葉まで丁寧に掻きだし、箒目もきちん
とそろえて、几帳面なお掃除が出来る人だ。

若い新妻も、お姑さんのあとについて黙々と落ち葉を掃き出すが、生来のおおざっぱが災いし
て、どうしてもやり残しが目立つ。

「すぐにまた、落ちてくるのに・・・」と落葉を見上げて、ついつい気を抜くからだ。

「同じ掃除をするなら、誰の目から見てもきれいなように・・・」

と、言われて身の縮む思いがした。



・・・と書くと、いかにも厳しいしゅうとめさんのしごきに耐えるけなげな新妻という図が思い浮か
ぶかもしれないが、実際の義母は意地悪でもなければ、几帳面でもない。

私のおおざっぱを「よしよし」と大らかに見逃して、笑って下さる。

思えば、あの時期、初めて窯元に嫁に入った私と、次男坊がどこからか連れてきた新しいお嫁
さんの人物を見定めようとしていた義母が、お互いに相手との距離を探りあっていたのだろう。

時が過ぎ、私と義母は今も時々一緒に庭掃除をする。

「ブローワー」という、落ち葉を強力な風で掻き出す機械を買い、大きくなった子ども達が手伝っ
てくれるようになって、冬の落ち葉掻きはおおざっぱな私向きにどんどん進化した。

義母も、新兵器と幼い「日雇い労働者」達の介入をあっさりと受け入れ、庭掃除の世代交代も
すんなりと進んでいく。

箒目のさわやかな風情は薄れていくが、子ども達を巻き込んでのイベント的な楽しみも増えた
気がする。



今年、お茶会を前に体調を崩した義母。

恢復期に無理をさせては・・・と、声をかけずに、内緒でお茶室の周りの落ち葉を拾い始めた。

秋になると、一斉に紅葉して散る落葉樹のと違い、常緑樹の古い葉は新しい若芽が育ってき
たのを見届けてからハラリハラリと人知れず地面に落ちる。

義母の几帳面な庭掃除を一人で真似てみる。

しばらく作業して振り返ると、やはりパラパラと取り残した木の葉や枯れ枝。

若いけなげな新妻は立派なおばさんに育ったが、丁寧な庭掃除の技術はあまり学ばなかった
ようである。




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