月の輪通信 日々の想い
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2003年06月03日(火) おばあちゃんになっても

「オカアチャン、大きくなったら何になるの?」

朝早く目覚めて、「二度寝」を楽しむアプコに添い寝していると、寝ぼけた声でアプコが聞いた。

「う〜ん、オカアチャンはもう充分おおきくなっちゃったしなぁ・・・(笑)。あとはどんどん年をとっ
て、おばあちゃんになるだけかなぁ。」

「???オカアチャンがおばあちゃんになるの?じゃぁ、おばあちゃんはどうなるの?」

「う〜ん。おばあちゃんはもっともっとおばあちゃんになるかな。」

「『おばあちゃん』で、終わり?」

「そうねぇ、終わりかなぁ。」

オカアチャンは、ちょっと寂しくなった。



最近、ご近所でちょっとした諍いがあった。

以前からあまり仲が良くないTさんとMさん。

Tさんは年齢も90近い一人暮らしのおじいさん。

Mさんは、一人で造園のお仕事をしておられるおじさん。この人も一人暮らしで、70才近いだ
ろうか。

そのTさんが、Mさんが敷地の中で飼っている犬に外から石を投げるという。たまたま今回は
Mさんが、現場を押さえて文句を言ったら、もみ合いになってTさんがかすり傷を負った。

ケンカの内容については、どちらが悪いとも言い切れないところもあって、Tさんが呼んできた
お巡りさんも、対応に苦慮しておられた。

日頃、大きな事件もない静かな集落で、二人の老人のケンカは井戸端会議の恰好のネタにな
る。

日頃、静かにブラブラ家の周りをお散歩しているTさんと、カブトムシの幼虫を見つけたとわざ
わざ子供らを呼んでくださるMさん。

そんな二人の老人が、いまだにカッとなるとつかみ合いのケンカになる激情をもったオトコなの
だということが、新鮮な驚きとして印象に残った。



民生委員のお手伝いで、月に一度、お弁当の配達に行くHさんは70代のおばあさん。

結婚したことがなく、ハイキング道沿いの小さなプレハブにひっそりと一人で暮らしておられる。

10年くらい前には、数キロの道を毎日歩いてお買い物に出ておられたが、今ではすっかり弱
られて、ヘルパーさんや訪問看護の人たちに手伝ってもらいながら、日々を送っている。

いつもHさんの所に行くとついつい長話をして、帰ってくるのだが、先日初めて、Hさんが昔は、
古い和菓子屋さんのお嬢さんであったということが判った。

「御菓子屋には毎日、日銭が入るから、いつでも家にはお金があった。お祭りの時には上等の
衣装を付けた市松人形をいつも買ってもらった。」

Hさんは懐かしそうに昔話を始める。

「戦争が済んで、伊勢湾台風で店が水に浸かって、引っ越した先の水があわなくて、私はこん
な所に住むようになった。」

静かな山里での寂しい住まいを、Hさんは心細げに訴える。

「訪問看護の看護婦さんがな、太りすぎると歩けなくなるから、痩せなさいというんよ。でも、もう
私は外で運動することも出来ないし、食べ物もナンボもたべとらん。どうやって痩せようか。」

ホントにねぇ。長い間一人で頑張って生きてこられたHさんに、出かけていってお友達を作りな
さいとか、新しいダイエットはじめましょうとか、私は言うことが出来ない。

人はある日突然老人になるのではなくて、若い頃からの毎日の積み重ねの末に、気がついた
ら老人になっているのだ。

昨日の暮らし、今日の生活が、子どもにとってはおとなへの、大人にとっては老人への道のり
の途中なのだというこの事実。

私はその現実の重さに、時折息が詰まりそうになる。



「オカアチャンが年をとっておばあちゃんになったらどうする?」

私は寝ぼけ眼のアプコに問いかける。

「年をとる」と言うことがいまいちイメージ出来ないアプコ。

「あのね、オカアチャンがおばあちゃんになって、ひいばあちゃんみたいに耳が遠くなったら、
大きい声でお話してくれる?」

「うん、いいよ。」

「じゃあ、オカアチャンが腰が曲がって、階段を下りるのが大変になったら、アプコがオカアチャ
ンの手をひっぱってくれる?」

「うん、いいよ。」

「オカアチャンの目が悪くなって、ボタンつけもお料理も出来なくなったら、アプコが代わりにや
ってくれる?」

「・・・それは、アユ姉ちゃんがやってくれる。」

「あ、そうね。」

お布団のなかのアプコの体は、ふわふわ柔らかくてあったかい。

ぎゅっと抱っこすると、幼児の汗の甘い匂いがする。

この愛しいぬくもりを抱けるのは、今の40才の私だけなのだ。



「オカアチャンがおばあちゃんになっても、アプコはオカアチャンのこと、好きって言ってくれ
る?」

本当に子ども達に聞いてみたいのは、これなんだけど・・・。

子ども達に愛され、心豊かに年齢を重ねるおばあちゃんになれるだろうか。

日々の生活を楽しみ、朗らかに人生を耕す事が出来るだろうか。

その答を知っているのは、子ども達ではなく、おそらくは今、今日の生活を紡いでいるこの私自
身でしかない。

その事実は重く、痛い。


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