月の輪通信 日々の想い
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今朝、はじめて気がついた。
アプコが私のこと、「オカアチャン」ではなくて、「オカアシャン」と発音するようになってきたこと。
我が家の子ども達は皆、父母のことを「おとうさん、おかあさん」と呼ぶ。
「パパ、ママ」なんてガラじゃないし、「お父様お母様」と呼ばせるほど、エエシでもない。
しゃべりはじめの「あーたん、たーたん」から始まって、自然に「おとうさん、おかあさん」におち ついている。
末っ子のアプコはまだまだ舌っ足らず。
本人はオニイ、オネエと同じように「おとうさん、おかあさん」といってるつもりが、「オトウチャ ン、オカアチャン」になっている。
そのくせ、私が「オカアチャンにも頂戴」と一人称で使うと、「『オカアチャン』じゃないでしょ。『オ カアチャン』でしょ。」と大まじめで指摘する。SAとCHAの違いは判っているけど発音能力が整 っていないと言うことらしい。
「おかあちゃん」という呼び方が好きになれない時があった。
幼い子どもの頃、母親の事を「おかあちゃん」と呼ぶ友達とはどこか合わない気がして、ちょっ と距離を置いてしまった時期もある。
商家の子どもや「地(じ)の人」と言われる地元の旧家の子どもがよく「おかあちゃん」という言 葉をつかっていた気がする。
その、ちょっとと甘えを含んだ、庶民的な匂いのする「おかあちゃん」という呼称は、いつも柄の 入った割烹着をつけて店番に立つおばちゃんや、手ぬぐいを日よけにトマトを収穫する農家の 嫁さんにこそふさわしいと思っていた。
新しい社宅に住む、サラリーマンの奥さんだった母に「おかあちゃん」と呼びかけた事は一度も ない。のどかな農村地区の住まいしながら、「神戸の人」の匂いを残していた母に「おかあさん」 と呼びかけるとき、幼い私の中にわずかな優越が合ったことは確かである。
時は流れて、私は陶器屋に嫁ぎ、母となった。
村のはずれに窯を築き、次々に子ども達を地元の小学校に送る込む我が家も少しづつ「地の 人」の末席に加えて頂きつつある。
専業主婦といいながら、工房が忙しくなっると、荷造り仕事もする。軍手に日よけ帽で庭掃除も する。
毎日制服のように、安いTシャツやデニムのパンツ。何年もパーマもかけずに後ろでくるっと束 ねた髪型。
あの日の幼い私に言わせれば、文句なしに「おかあちゃん」系の母に育った現在の私。
「オカアチャン、オカアチャンのおなか、まあるいね。」
そうそう、どっしり落ち着きすぎた体型もまさしく「おかあちゃん」系だ。
男の子達は、最近、友達同士の間では母のことを「かあちゃん」と呼ぶ。
「か」の字にアクセントのあるノーマルな発音ではなくて、「ちゃ」の部分にアクセントを置く独特 の「カアチャン」である。
「おふくろ」とか「オカン」に近い、ちょっと照れを含んだ少年らしい呼称である。
「うちのカアチャン、来たわ!」
参観日などに学校へ行くと、「学校の顔」のゲンが友達に言う。
そのくせ、「カアチャン」という言葉を使う瞬間を母に見られて、ちょっと居心地がわるそうだ。
男の子たちの「カアチャン」は外向きの言葉らしい。
私自身に関して言えば、アプコの使う「オカアチャン」という言葉はちょっと気に入っている。
4人の子ども達と共に、父さんの仕事を支え、この土地にしっかり根っこを下ろしていく。
美しくよそ行きの服を着るよりも、今日の生活、明日の暮らしを心地よく満たされた物にした い。
そんな身の丈通りの日々の暮らしを、「オカアチャン」なら、じっくりと織り上げていける気がす るからだ。
「ねえ、アプコ、もう一回オカアチャンって言って。」
もう一度発音の変化を確かめたくて、私はアプコに聞いたけれど、アプコはちょっと警戒して、 首を振った。
「じゃあね、今日は誰と寝る?」
「オカアチャン!」
・・・「チャ」だか「シャ」だか微妙なところ。
オカアチャンもまた、発展途上というところか・・・。
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