月の輪通信 日々の想い
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朝、買い物に出掛けたら、いつものスーパーの前に傘屋さんが店をひろげている。
何本新調しても、ものの数日で壊してくる男の子達の通学用傘を買う。
1本300円也。
近頃では子供用の傘もすっかり使い捨て価格になった。
だから壊れやすくなったと言うワケでもないのだけれど、次から次へと傘を買う。
以前、この傘屋のおじさんにそんなことを愚痴ったら、
「壊れたかさは、もっておいで。直してやるから・・・」
さすがに、300円の傘を束にして持ち込むのは気が引けるのだけれど、うちには一本、是非と も修理したい傘がある。
機会があればきっと・・・と心に留めていたので、さっそくおじさんにお願いしてみることにした。
「上等の傘じゃなんだけど・・・」
私が持ち出したのは、緑のチェックの雨傘。ここ5,6年、私が一番愛用してきた普通の傘だ。
「よっしゃ、買い物の間になおしとくわ。」
おじさんは気安く受け取って、作業をはじめた。
私は、スーパーで、いつもの買い物をすることにした。
この傘を買ったのは、私の4人目の赤ちゃんが入院してい小児病院の近くのスーパーの傘売 場だった。
生まれつき心臓に障害を持って生まれてきた娘は、ほとんど自宅へ帰ることなく、病院から病 院へ移り、最後にこの小児病院のICUにたどり着いた。
生後3ヶ月を待たず、娘の病状は思わしくなく、様々な感染症が出てついに頼みの肝臓が壊れ 始めていた。
主治医の先生は暗い顔で、頭をたれておっしゃった。
「ICUでは、ご両親にしか面会出来ない決まりなのだけれど、夜間の少しの時間ならおじいちゃ んおばあちゃん達に面会してもらってもいいですよ。」
兄弟ともおじいちゃんおばあちゃんとも、ほとんど顔を合わせないまま、病気と闘ってきた娘に 最後の面会を許して下さっているのだろう。
私はすぐに、4人のおじいちゃん、おばあちゃんを電話で呼びだした。
実家の両親は遅い時間にも関わらず3時間近くも電車に乗って、病院へ駆けつけてくれた。
冬の夕刻の冷たい駅で、私は父と母を迎えた。
「遠いのにごめんね、急に呼び出して・・・」
なるみの誕生後、実家の両親には幼いアユコやゲンを預かってもらったり、夜遅くに何度も電 話して、不安な想いを聞いてもらったり、迷惑のかけ通しだった。
「あんまり状態は良くないの。でも生まれてからこれまで、ほとんど誰にも顔も見てもらっていな いから・・・」
父も母も、事情はよく察してくれていて詳しくは問い返したりはしなかった。
駅を出ると、外は急に降り始めた冷たい雨。
「病院はすぐそこだから・・・」
と、私は歩き出そうとしていたが、父が「そこで傘を買っていこう」とすぐ前のスーパーを指さし た。
透明のビニール傘を探す私に、「あとで使える物を」と普通の婦人用の傘を選ばせた。
「雨の日はせめて傘ぐらい明るい色を・・・」
といつもなら、華やいだ色を好んでいた私だが、このときばかりは明るい色の傘を手に取る気 がしなかった。
「ホントにそれがいいの?」
母は、日頃の私の好みとは違う地味な色の傘に、首をかしげた。
両親と私たち夫婦、4本分の傘を買い、義父母とも合流して、夜の病院へ向かった。
「随分痩せてちっちゃくなっちゃったんだけど、びっくりしないでね。」
面会客の絶えた夜のICUで、4人のじいちゃんばあちゃんたちが、たくさんのチューブや呼吸 器につながれた小さな孫と面会。
「小さいのに、頑張ってるなぁ。必死で生きてるんやなぁ。」
父は、娘に迫っている「死」の陰については触れなかった。
顔色も悪くなり、痩せて小さくなり、指一つ動かすのがやっとの娘は、黒い大きな瞳でじーっと 遠くを見つめていた。
病院を出て、新品の傘を開く。
「来てくれてありがとう。家族に会わせてやれて嬉しかった。」
「大変だろうが、しっかりとみてやりなさい。」
別れ際に駅で父が言った。
冬の冷たい雨。
父が黙って買ってくれた新品の傘が有り難かった。
以後、雨のたび、私は緑の傘をひろげるようになった。
なるみが亡くなり、アプコが生まれて、元気に幼稚園に通うようになっても、私は緑の傘が手放 せないでいる。
決して上等ではない、どこにでもある婦人傘。
ついには、緑色も白っぽく色あせ、骨組みの止め金具がさび落ちて、骨が一本はずれてしまっ ていた。
いよいよお払い箱かとあきらめて、傘立ての中に隠居していたのだけれど・・・・。
「直しといたで・・・。ちょっと拡げてみて。」
傘屋のおじさんは、私の傘を返してくれた。
壊れていた箇所にはそこだけ新しい金具が入れられて、開くと再びピンときれいな弧を描い た。
「わぁ、嬉しい。ありがとう。」
お代は?と尋ねる私に、
「いいよ、おまけしとくわ。新しいの、買ってもらったしね。」
おじさんは、笑っている。
たった300円の子ども傘を買っただけなのに・・・
「傘修理します。400円〜」
と小さな看板があげられているからと、私はお財布を出したのだけれど、おじさんは「いらんい らん」と手を振った。
「その傘、大事にしてやって。」
この傘にまつわる悲しいお話をおじさんが知っているわけでもないというのに、どうしておじさん は修理代を取らなかったのだろう。
本日一人目の修理客へのご祝儀か。
それとも、修理してまで使うほどではない、オンボロ傘に同情したか。
もしかしたら、私の傘への愛着が、どこかでおじさんの職人魂にノックしたのかもしれない。
とりあえず、有り難く傘を受け取って、頭を下げる。
再び、緑の傘は現役復帰。
今にも降り出しそうな梅雨の空。
引退寸前だった傘は、再びアプコの送迎に、日常の買い物にと大活躍してくれるだろう。
今日は、七夕。
あいにくの雨模様となりそうだ。
梅雨空に向かってパッと緑の傘をさす。
なるちゃん、
上から、母さんの傘、見える?
今日もみんな元気だよ。
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