月の輪通信 日々の想い
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2003年07月09日(水) 子どもを育てるのは誰

苦しい、苦しい事件が続く。

友だちに殺される中学生。

中学生に殺される幼児。



「こわいね。アプコとおんなじ年だね。買い物とか行くときでも目を離さないように気をつけなき
ゃね。」

そんなことをいってたら、犯人はオニイと同い年だ。

「男の子も、中学生になるとこんなに判らなくなっちゃうんだろうか。この子の親は、自分の息子
がこんなに恐ろしいことをして帰ってきても、全然気がつかなかったんだろうか。」

痛い、痛い思いに、息が詰まりそうになる。



この苦しい思いを何とか、文章にしなければと何度も試みてみたのだけれど、なくなった幼児
の恐怖、12才少年の闇、そして双方の親たちのあり方に想いを巡らせ、他所さんの日記や掲
示板を見て回っているうちに、ついに何もかけなくなってしまった。



「親が子供を育てる」という当たり前の事がこんなにも難しくなってしまったのは何故なんだろ
う。

「周囲の大人は気付かなかったのか。」

「今の少年法で果たして、若年者の犯罪は減らせるのか。」

「幼い子をほんの一瞬でも、親の目の届かぬ状態においていたのは不注意ではないのか。」

ワイドショーは、どこも言葉盛んにまくしたてる。

「社会全体で、子ども達の成長を支えなければ・・・」

「昔は、近所のおじちゃん、おばちゃんが悪いことをした子をこっぴどく叱ってくれたモンだ。」

「親だけでなく、周りの大人がみんなで幼い子を守ってやれれば・・・」

そんな訳知り顔のコメントも聞き飽きた感があるが、はてさて、本来子どもは誰が育てるものな
のだろう。



「命は大事」

「人に迷惑をかけない」

「幼い者、弱い者はみんなで守る。」

そんな基本的なルールを教えるのは、まず家庭の役割だ。

子ども達の異変の責任を、学校教育や社会、周囲の大人達に振りかぶせるのはカッコイイ。

でも、子どもを持ち、「親」となることを選択した人たちが、まず一番に子どもの健康と安全を見
守り、社会のルールをしっかり教え、「普通の良識ある人間」としてのボーダーを超えさせる事
の責を負ってしかるべきなのではないか。

そんな基本的な教育力が、家庭に期待できなくなってしまった社会というのはやはり病んでい
るとしか思えない。



「社会の育児支援」と言う名の下に、「子育て」という重い荷物を親だけでなく周りの大人がみん
なで一緒に担いでやろうという声があがっている。

子どもが幼い頃から誰かに養育の責任をまかせたり、基本的なしつけを学校や社会に求めた
り、成長した子の日常生活を把握できないことが当たり前になったり・・・

「子育ては社会全体で・・・」と言う美名のもと、「親」を片手間につとめてしまう人が増えている
のは怖い気がする。



「人の子の親になる」と言うことは、大変な事だ。

「社会が悪い」とか「これからの育児が不安だ。」と嘆いている間にも、子ども達はにょきにょき
と伸び、大人達の姿を観察し、心の中に外からは見えない空間をどんどん掘り進んでいる。

まず自分ちの子ども達の毎日を、しっかり見つめて行かなくては。



「オカアチャン、あげる。」

ニュースや新聞を見て、ため息の増えた私にアプコが差し出したのは、野の花を摘んだ小さな
花束。

この子らがいるから、私たちは未来に夢が持てるのだ。

「子育て」は、親が担ぎきれない、重たいだけの荷物ではない。




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