月の輪通信 日々の想い
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2003年08月01日(金) 鶴を焼く

広島の平和公園の折り鶴が焼かれたそうだ。TVのニュースを見ていたアユコが血相を変えて
教えに来た。

「また?以前にも何回かあったよね。」

よくある事ね、というような私の反応に憤慨するようにアユコが畳みかける。

「広島の千羽鶴やで!何でそんなことするんやろ!」

学校で十分な平和教育を受けているアユコにとって、平和への祈りを込めた鶴を気まぐれない
たずらで焼いてしまう感覚が信じられなかったのだろう。

アユコの反応は正しい。

「これまでにもよくあることやね。」

と、聞き流してしまう感覚の方が麻痺しているのだ。



千羽鶴は焼けない。

誰かの千の想いが織り込まれた鶴には千枚の折り紙の重さだけではないプラスαの重みがあ
り、火をつける手を一瞬惑わせる。

我が家の3階には、大きな紙袋に入れた千羽鶴が5つも6つも残っている。

「にしばあちゃん」は義父の産みの母に当たる人。この「にしばあちゃん」がとても手先の器用
な人で、几帳面に切りそろえた新聞広告の紙でいつも折り鶴を折っておられた。私たちの結婚
の時、子ども達の誕生の時、にしばあちゃんは、毎日折り貯めて木綿糸で綴った千羽鶴を贈っ
て下さった。

事情あって、晩年、老人保健施設の住人となっていたが、朗らかで人当たりがよく、二言目に
は「ありがとう」が口癖のにしばあちゃんは誰からも愛され、大事にされた。

「手先を使うことが好き」と折り紙を続けたにしばあちゃんは、身の回りの最小限の持ち物を残
し、誰かに迷惑をかけることもなく、こぢんまりと自分の生涯の後始末をつけてから旅立ってゆ
かれた。

我が家の残るにしばあちゃんの千羽鶴。

何かの折りに、神社にでも奉納しようかといいつつ、もう何年も保存したままになっている。几
帳面に角をそろえて折られた何千羽もの鶴を見るとき、自分に定められた人生を静かに受け
入れて大らかに全うされたにしばあちゃんの見事さを思い出す。

一羽一羽の積み重ねが、数千羽の数となって、心に迫る。

それは平凡な当たり前の日常の繰り返しにも似て、一人の人生の圧倒的な重みに通ずる。



私も、一人で何千羽もの鶴を折ったことがある。4人目の子なるみが、生後すぐに見つかった
心臓の病気で入院していたときのことだ。

思いがけず我が子の命が危機にさらされたとき、私はうろたえ、泣き、ところ構わず歩き回っ
た。周りの励ましやいたわりの言葉も耳に入らず、自分を失い、惚けたようになっていたと思
う。

最初のショックからしばらくして、「これじゃだめだ」と気付いたとき、私が手にしたのは小さな折
り紙だった。

小さな保育器に入れられ、ガラス越しに見守ることしかできない小さな娘のために私が出来た
のは、ただただ祈りを込めて鶴を折ること。手元にいつも小さな巾着に入れた折り紙を持ち憑
かれたように鶴を折る母の鬼気迫る姿は、はた目にはさぞかし不気味に見えたに違いない。

それでも、余計な不安や不吉な想いに惑うことなく、ただただ「折る」ということに専念した数日
のあいだに、私は心の整理をつけ、娘の困難な「生」を正面から見つめる勇気をはぐんでいっ
たような気がする。



落ち着いてから思い返してみると、病院という場所にはあちこちに折り鶴だのくす玉だの誰か
の根気強い手作業の成果が飾られている。

不安な入院生活や重苦しい時間を食いつぶすばかりの付き添いの合間に、折り紙を手にする
のは自然の流れで、病院の売店には千羽鶴用の小さなサイズの折り紙が必ずのように置いて
ある。

「早く良くなりますように」

「痛みや苦痛がなくなりますように」

病人や家族の切なる想いを込めて作られた鶴は、圧倒的な重さを持っていつまでも残ってい
る。



千羽鶴は焼けない。

火をつける手にためらいがあるのは、作った人の深い祈りに心が揺れるからだ。

「どんな人がどんな想いでこれを折ったのだろう。」

そんな当たり前の想像力の備わった人だからこそ、いたずらや憂さ晴らしに鶴を焼くことは出
来ないのだ。

広島の鶴を焼いた人に、折った人の祈りをくみ取る想像力が育まれていなかったことは悲し
い。



そして、焼かれてしまった鶴について「よくあることよね」と聞き流してしまいそうになる私の感覚
の麻痺。

多感なアユコのまっすぐな憤慨が、母の無感覚に杭を打つ。

こんな事に慣れてしまってはいけない。

幼い子らを育む者として、誰かの愚に憤る感覚を鈍らせてしまってはいけないのだ。



私が娘のために折った千羽鶴は、小さな棺桶に入れて娘と一緒に見送った。

娘とともに鶴を焼いた時の痛みは時が過ぎても忘れることはない。

広島の鶴は焼かれても、そこに込められた祈りは忘れられることはない。




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