月の輪通信 日々の想い
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2003年08月20日(水) 頑張れ

今夜、どこかの空の下に、眠れないおかあさんがいる。



「日記才人」を通じて、お知り合いになったKさん。

未熟児で生まれて、NICUに入院しているお子さんの成長記録を日記として公開していらっしゃ
る。

生後半年以上過ぎてもわずか1500グラム前後で、毎日闘っている赤ちゃんと限られた面会
時間に一生懸命我が子の成長を応援しているおかあさん。

この人の日記を読むたび、見ず知らずの私まで、赤ちゃんの成長に拍手し、体調不良にドキド
キしてしまう。

ホントに小さな小さな赤ちゃんが、生まれてすぐに抱え込むことになった障害を、倦むこともなく
一日一日必死で克服しようとしている姿に、身の引き締まる思いがする。

人は本来こんなにも強烈な「生きたい」という想いを持って生まれついてきたのだと言うことが、
改めて心に迫ってくるからだ。



Kさんが毎日赤ちゃんとの面会に通っているNICU(新生児集中治療室)

本当に重篤な状態の赤ちゃん達が、たくさんの専門スタッフに見守られて、病気と闘っていると
ころ。

唯一許される親の面会もごく限られた時間だけで、それも外の様々な病気や菌を持ち込まな
いための厳重な消毒が必要とされる。

様々な輸液チューブや計器のコードにつながれた我が子をぎゅっと抱っこすることすらままなら
ない。

私もそんな息詰まるNICU通いのつらさを少しの期間、経験している。



NICUの赤ちゃんの多くは青空の元に出たことがない。

生まれてすぐに自宅にもどることなく、ずっと病院の中だけしか知らずに成長していく子ども
達。

我が家の次女なるみも、ほとんど外の光をしらないまま旅立っていった。

「空を見せたい」

赤ちゃんの急変をしらせる最新の日記の中でKさんがおっしゃっている。

そういえば、私も、NICUの大きく外に開かれた窓を見ながら、クベースの中で静かな寝息を立
てている娘と、他の兄弟達とが手をつないで陽光の中を散歩する夢ばかりを見ていた。

「この子はまだ空を見たことがない」

「まだ兄弟達と手をつないだことがない」

そんな当たり前の事を経験しないまま、この子を手放してなるものかと、必死で祈る毎日だっ
た。



何もしらない赤ちゃんは日々淡々と「生きる」ということに専念している。

お腹いっぱいのミルクの味をしらなくても、おかあさんの「ぎゅっと抱っこ」の楽しさをしらなくて
も、赤ちゃんはなんの迷いもなく「生きたい」という意志をはっきりと全身にみなぎらせて生きて
いる。

この圧倒的な力はなんだろう。

NICUの外に出ると、だらだらとなんの危機感も待たずに日々生きる時間を浪費している大勢
の人たち。

この人達の時間のほんのわずかづつでも、病と闘う我が子に分けてやることは出来ないのだ
ろうかと何度も思ったものだった。



なるみが天に帰って、7年近くたった。

「もう一度、生み直してやりたい」と思って産んだアプコが先日5才になった。

もうなるちゃんの生まれ変わりではない、アプコ自身の時間を舐めるように堪能して生きてい
る。

アプコの旺盛な食欲を見て、「あの子にも食べさせてやりたかった。」と空しい想像をすることも
少なくなった。

あの子はあの子なりに与えられた時間を十分に愛されて生きていたのだと言うことが、判って
きたからかもしれない。



赤ちゃんの容態の急変に、「この子の生きる力を信じよう」と勇敢に立ち向かっているおかあさ
んがいる。

私はKさんに「つらいね、がんばろうね。」の言葉を何度も何度も伝えたくなる。

我が家の娘はついにうちに帰ることなく逝ってしまったので、その不吉な事実がKさんを傷つけ
はしないかと憚りながら・・・。



いま、平和な寝息を立てて眠っている我が家の悪ガキ達の今日一日の時間も、NICUで闘って
いる赤ちゃんの苦しい一日も、同じ空の元に流れる、同じ貴重な時間なのだということを思い
出しつつ、朝を迎えた。

「いっちゃん、がんばれ。Kさん、がんばれ。」

今日も青空が見られそうだ。






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