月の輪通信 日々の想い
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2003年09月08日(月) 家事の好み

毎日大量に出る我が家の洗濯物。
その中で布巾やタオル、そして6人分の下着をたたんで、所定の位置にしまうのは、数年前からアユコの仕事である。

「おかあさん、こんな布巾、うちにあったっけ?」
取り込んだ洗濯物の中からアユコがひっぱりだした一枚。郵便局の粗品でしょっちゅうもらう布巾で、引き出しに一杯たまっていたのを昨日下ろしたばかりだった。
ふわふわ柔らかくて、ふつうの布巾より吸収力のある素材の物。
「うん、昨日、出してみたよ。おばあちゃんちでは、よく使ってるでしょ。」
「・・・・でも、どっちかというと、あたし、この布巾あんまり好きじゃないな。」
あ、そう・・・。実はおかあさんもそうなんだな。



うちでは、食器にはフェイスタオルの半分の大きさのタオルを、台拭きには20センチ角くらいの使い古しのハンドタオルを2枚縫い合わせた布巾を使う。
一度使った布巾をすすぎなおしてもう一度使うのが好きじゃないので、一旦使った布巾はどんどん洗濯機に放り込んで、新しい布巾をペーパータオルのように次々使う。
だから、布巾の籠には洗いさらしてパリパリになったタオルがいつもぎゅうぎゅうに詰め込んである。
いわゆる「ぬれ布巾」というヤツを置いておく習慣がない。

一方、工房の2階にある義母の台所には、いつも必ず、食卓の隅や流し台の所に小さく畳んだぬれ布巾が慎ましやかに置いてある。
食卓でのちょっとした粗相や食べこぼしもこまめにササッと拭けて、これはこれで便利でもある。
この、常備用ぬれ布巾に、義母は郵便局粗品バージョンの白い布巾をよく使う。
実家の母もどちらかというとぬれ布巾常備派だった。



新婚の頃、初めて洗濯用の柔軟剤という物を使った。古タオルも柔軟剤を使うとふわふわと柔らかな肌触りになって感激したことがある。
実家では、常の洗濯に柔軟剤はあまり使わない。
母に、「柔軟剤使ったらタオルがふわふわで気持ちいいよ」と教えたら、
「そう?でも、タオルはパリッとしてるほうが気持ちよくない?」と不思議がられた。

そういえば柔軟剤を使ったタオルは肌触りはいいけれど、吸水性はいまいち。かさも高くなってきちんと畳めない。元来の無精も手伝って、ついに柔軟剤は使わなくなってしまった。



郵便局布巾の肌触りは、ちょうど柔軟剤を使ったタオルの柔らかさ。
吸水性もいいので、使い勝手は悪くはないのだけれど、なんだか洗いさらしたタオルのパリッとした緊張感がなくて物足りない。

たぶん、毎日取り込んだばかりの布巾を畳んでくれるアユコも、同じ物足りなさを感じているのだろう。

主婦の日常は毎日毎日、ささやかな用事の繰り返し。その中で、その家ごと、その主婦ごとのささやかな家事の好みが生み出される。

そしてそこで育っていく子ども達には、母の主婦感覚が、好む好まざるに関わらず、まさしく当
たり前の「家事の常識」として刷り込まれていく。

アユコの布巾の好みが私のそれとぴったり一致していることに気付いたとき、正直なところ「恐いなぁ」と思った。

私の整理下手のおおざっぱな家事も、多忙と大家族をいいわけにした手抜き料理も、これから主婦となるであろうアユコの主婦感覚のスタート地点になるのだなぁ。



この間から、惜しむように読んでいる幸田文のエッセイの中に、若い文さんが父の幸田露伴から厳しく掃除のやり方を伝授される場面が出てくる。

雑巾は刺した物より手ぬぐいの様な一枚ぎれがいい。バケツの水は6分目。雫で床をぬらさぬように注意して絞る。しぼった濡れ手の雫も落とさぬように気を配る。

現代のおざっぱなお掃除から見ると、いささかマニアックとすら見える露伴の家事に対する美意識と、それに答えてわが娘にも父の家事感覚を厳しく伝えていく文さん。

古くから、多くの主婦の中に、密やかに脈々と伝えられてきたつつましい主婦感覚は、実は日本的な細やかな美意識に通じていく物なのだと改めて認識させられる。



はてさて、かたや我が家のおおざっぱ、且つ、ずぼらな主婦感覚。
近頃、料理に興味を示して、しょっちゅう台所をうろちょろしているアユコに、私はどんな家事の好みを教え込んでいくのだろう。
幸いにして、私よりずっと几帳面で、整理整頓上手なアユコ。
母のずぼらを反面教師にして、優秀な主婦となってくれることを期待してもいいかもしれない。

それにしても、アユコのアタマのどこかに確実に刻まれていく私の「ええ加減主婦」の主婦感覚。

子どもを育てると言うことは、ほんとは恐いことだなぁと改めて、猛反省。


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