月の輪通信 日々の想い
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2003年10月17日(金) 青いソース瓶

父さんのいない夕ご飯の時、出来合いのコロッケに、じゃぶじゃぶとウスターソース掛けていたオニイが言った。
「このソース入れ、長いこと使ってるよね。」
「あったりまえよ。それはおかあさんが結婚する時に買ってから、ずーっと使ってるんだもの。オニイがうまれる前からよ。」

なんの変哲もないガラス製のソース瓶。水色のガラスのフタがついていて、、厚手ガラスのぽってりとしたデザイン。
父さんとの結婚が決まって、新婚の食卓に使おうとあちこち探し回って購入した「嫁入り道具」のひとつなのだ。

今時、珍しいお見合い結婚。
初対面から1年足らずで始まった新婚生活。
お互いの生活習慣や考え方など、今思えば知らないことだらけのまま、私たちは家族になった。
サラリーマン家庭の長女として育った私と、陶芸の窯元の家に生まれ育った父さん。年齢も普通より少し離れていたので、二人の生活観のギャップは結構あったかもしれない。
「陶芸家のうちでは、食器は全部、自作の陶器なのかしらん?」
私の花嫁道具選びは、そんな疑問から始まった。

うちは茶道具を中心に扱う窯元。食器は作らない。
それではと、市販の食器を買い集め始めたが、まだ見ぬ新婚の食卓に描く初々しい夢の他に、夫となる人の食の好みや日常の食器に関する好みを計りかねて、買い物は難航した。

「日常の食器は藍を中心に、和洋、どちらにも応用のきくものを。
醤油差しは、赤絵で、尻漏りしない機能的な物。ソース瓶は絶対ガラス製。表面にはカッティングがなく、安定感のある物。
毎日食卓に置く物だから、醤油差しとソース瓶だけは妥協しないで選ぶ。」
今では考えられないほどのエネルギーで選んだ醤油差しとソース瓶。
醤油差しの方は、数年で注ぎ口を欠いてしまい選手交代したが、分厚いガラスのソース瓶は十数年経った今も現役で活躍中だ。

お風呂の湯加減は熱めか、ぬるめか。
朝の目玉焼きに醤油をかけるかソースをかけるか。
毎日使う歯磨き粉の銘柄、おみそ汁の味加減、枕カバーの材質の好み。
それぞれ別の環境で暮らしてきた二人が一つのうちで新生活を始めるとき、新米主婦は自分の夢と伴侶となった人の好みをすりあわせて新しい家族の形を作り上げるという難問にぶち当たる。
「テーブルクロスの色は何が好き?お風呂と夕食、どっちが先?バスタオルは柔軟剤使った方が好き?」
新妻にとってはとても重要な質問が、仕事が忙しくて身の回りの家事には無頓着な男性をイライラさせたり、うんざりさせたりする。



結婚して十数年。
子ども達が次々と生まれ、何度かの引っ越しを経て、雑然と散らかった我が家は今や着慣れたシャツのように家族の生活になじんでいる。
家族一人一人の役割分担、わいわいと皆が楽しめる夕食のメニュー、タラタラしながらもちょっと充実した休日の過ごし方。
親子で共有している心地よい家族の形は、長い年月と小さな口げんかや思いやりの集積として、今確かに此処にある。

人と人が出会って、新しい生活を気付いていくとき、愛情とかお金とか、快適な住まいの他に、「年月」という些細な日常の積み重ねが圧倒的な意味を持っている事に気がついた。



今、大好きな人との新生活をはじめたばかりで、慣れない環境の変化にとまどい、彼との関係の取り方に悩んでしまっている女性がいる。
どっぷりと主婦の座に座り込んでしまった身としては、初々しい新婚生活のドキドキを思い出して「うふふ、頑張りなさいよ。」とエールを送りたくもなるのだけれど、今の彼女の耳には要らぬお節介としか聞こえないかもしれない。



十数年、我が家の食卓に鎮座してきたソース瓶。
ソースを補充するついでに台所洗剤できれいに洗ってみた。
手垢や油汚れを脱ぎ捨てて、新品のように輝くソース瓶。新婚の日の二人っきりの食卓に置かれたあの日の輝きを取り戻したようだった。

子ども達が争って手を伸ばすにぎやかな食卓で、まだまだ青いソース瓶は活躍してくれそうだ。

そうだ。
父さんと私の当たり前の今日にも、ふっと新しい風を吹き込んでみよう。
手始めに、洗い晒して色あせた父さんのバスタオルを、新品にかえてみようか。
そんな些細な物事が家族の歴史をささえてくれるのだ。


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