私の生き方
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仮通夜から一夜明け今日はとうとう告別式。 告別式は、亡くなった時間も、日も悪く、延び延びになっていた。 でもとうとう今日午前11時から告別式である。 ・・・どれくらいの人が来てくれるだろうか?
昨晩もまた父の遺体と共に一晩過ごした。 生前の父は人柄もよかったのか、一晩中ついてくれる人達がいた。 亡くなって顔に白い布を掛けられ、綺麗な布団に寝かされ、 そんな父に向かって話し、愚痴を言い、泣きながら、時間を過ごした。 説明のときに、『火を絶やさず・・・』と言われたが、 日頃の寝不足からか私はたまらず知らず知らずのうちに少しだけ眠ってしまった。
母よ、ごめん。
朝7時。 なんだか朝から慌しい空気の中、借りた部屋についてるお風呂に入り、喪服に着替えた。 みなは「はや着たん?まだ早かろ?」と言う。 でも、私は時間が押し迫る中、慌てるのは嫌なのでそのまま着ていた。 この喪服も実はレンタルで。8300円。 しかもデザインが良くない。会場と提携してる所が悪かったらしく、 今時の私たちが着るような礼服はなかった。 男の人は、スーツなのでいいとしても、女の私は最低だ。 ワンピースは嫌だ。と自己主張をしたにも関わらず、なんだか妊婦服。 でもここで押し問答をしてても仕方ないので、着る事にした。 今思えば、買うチャンスというか時間はあったはず。 いつかは今後に備えて一着は買わなきゃ!と思っていた。 何度も売り場に足を運ぶが、なんだか買ったらおしまいだとなんとなく自分に言い聞かせていたのかいつもSTOPがきいていた。 これに関してはいつも財布の口は堅く、何も買わず売り場を後にしていた。
”買える訳ないじゃないっ!! 皮肉にも自分の父の葬儀で着る服なんてっ!”
午前9時。 担当の方が来て、遺体を御棺に入れる作業が始まった。 「御棺に故人が生前愛用してた品物を入れて下さい」と言われ、 タバコ、お酒、つまみ、釣りの道具、チョコ、(ギターは入れれなかったので)歌の赤本、ジャンパー、K1のビデオ等をみんなで入れてあげた。 そして父の御棺は会場へ行ってしまった。
午前11時。 会場には何百人という大勢の方が来てくれ、祭壇も40万もかけてしただけあって色とりどりの花で飾られかなり豪華。その上、父の仕事仲間からの盛り花や飾り花もたくさんあり、供物もたくさん手向けられていた。 5万もする司会の方のナレーションが入り、葬儀は始まった。 生前の父の生い立ちから今までのことごまかに曲に合わせ、まるで誰かに説明するように ゆっくり話す女の司会者。 早くも涙をそそる。 そして、スムーズな司会進行のもと、お坊さんが来てお経を詠む事1時間。 不眠不休の母は途中うっつらうっつらきていた。 お焼香が喪主の母から始まり、次に一人娘の私になり、順番に親戚、知人といった形で行われた。
午後12時過ぎ。 親戚一同はもちろん、知人など仲間の手によって、父の棺に供物やお花を 入れてもらった。 もう父に触れる事は出来ないんだと確信。 最後の最後にまた冷えた顔に触っておく。 母は、父に「これを…」と言い、白く小さくくるんだモノを入れた。 (後になって聞いたが、あれは向こうにいってもお金に不自由しないようにと入れたらしい。 そっか、あれはお金だったのか。。)
係りの者によって、蓋をされた。 その後、ひとりひとり釘を3回叩くという儀式で終わってしまった。 母は位牌を。 私が遺影を。 いとこがロージを。 親戚の子が笠とわらじを。 棺に付く叔父2名。
そして1Fロビーにて、皆さんが出迎えてくれた中で喪主に代わり遺族代表挨拶。 「本日は公私共お忙しいところ、故人(父の名前)の為に御会葬くださいまして誠にありがとうございます。 故人の生前中は皆様より格別な御厚情、御愛顧を頂きましてありがとうございました。 幼い頃より苦労の多い人生でやり残した事もあったと思いますが、皆様から盛大な御見送りを受けまして 故人はさぞ満足している事と存じます。 私達残る遺族一同にも故人同様の御厚情をたわまります様、ひとえに御願い申し上げます。 誠に措辞ではございますが、遺族を代表し御礼の挨拶とさせて頂きます。 本日はありがとうございました。」 一礼。 凄く寒い中、出棺。
みなさん本当にありがとうございました。
霊柩車に乗り、火葬場に向かう。 クラクションを鳴らして、車はゆっくりと出発しました。
霊柩車って外車だったんですね。 霊柩車って『○×家』ってちゃんと外からも見えるように書かれているんですね。 霊柩車って・・・悲しい車なんですね。。
そんな気持ちの中、火葬場に着く。 また皮肉にもこの焼き場、実は父と母が手がけてつくった地元で始めての焼き場が7つもある大きな火葬場でした。 当時、「ひとつだけデカイ焼き場があって、あれはお相撲さんでも入るんじゃないか?」って父は言ってたそう。 そこには入らず普通サイズでしたけど、自らの手で作った火葬場に入ってしまった父。 焼却炉みたいな中に父は入っていき、硬く閉ざされた扉。 その前になにげない台があってさっきの位牌やら遺影やらロージやら飾るわけです。
焼き終わるのは2時間ばかしかかります。 その間も待合室でいるわけです。 まずはビールやジュースコーヒーなどの飲み物を皆様に配り次につまみやお菓子。 みんなに気ばっかり使ってかなり神経すり減りました。
午後2時半。 とうとう時間が来たようです。 みんなで箸を取り銘々がお骨の壺に入れていくわけですが・・・。 焼けた後の骨だけになった父の姿を見て私はまた泣いてしまいました。 その時、喪服にはポッケはなくハンカチを持っていなかったので、すかさずいとこが赤ちゃん用のタオルを貸してくれました。よだれ付です。 それでもいいや。ありがとう。 内臓のあたりはさすがに何もなく、(真っ黒でひどい状態だと係りの者がのける場合もあるらしい)下半身で残っている骨は薬のせいでしょうか見るからにカスカスでした。 上半身の肩の骨と喉仏はとっても綺麗でした。 全部ひろってやりたいけど壺には入りきらない。 父の仲間が、父が”好きだった海に返したい”ということで特別にひとかたまり。 私も預けていたハンカチにひとつ骨をくるんで持ち帰りました。 まだ熱々で火傷する位の勢いでした。
そして火葬場を後にし、いとこの車に乗り込みました。 大きなバスに乗ったら情けない姿をあらわにするのもあれだろうと思い、 「一緒に帰る?待ってるから!」と言ってくれたいとこに感謝。 車の中では私の落ち込んだ気持ちも涙も吹っ飛ぶかのように10代と20代の いとこ達の会話で時は過ぎていきました。
会場に戻って2Fで精進おとし。 皆様に料理を食べて頂きます。 ひとつ3000円とやらでしたっけ。この料理。 ビールやらお酒やらたくさんのアルコール類がなくなっていきます。 ここはみなゆっくり食べたい時間なのに、役に立たないコンパニオンとやらが1時間しかついてないのできっちり1時間で切り上げです。鬼っ!! 私は胃の中に入らず持ち帰りです。 料理は・・・そう美味くもありません。
そして香典返しをみなに持たせ、帰路に着くわけです。
今日は親戚の半数の方々が狭い実家でお泊りです。
午後11時半。 今日も長いようで短い一日でした。
本当にお疲れ様でした。
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