おひさまの日記
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昨日は久しぶりに夜中までねねと電話で話した。
彼女との電話での会話は、私にいつも示唆を与え、 自分の中にあるものにはっきりとした輪郭を与えてくれる。 (会ってる時はろくなこと喋らない!) 昨日も、改めて本当に大切なものを確認したような気がする。 昨日のねねの日記、同じくこのエンピツの「おつきさんの日記」に、 電話で話してたことが書いてあるよ。 ぜひ読んでいただきたいなぁ、と思います。
とてもよく切れるハサミがあるとする。 そのハサミは素晴らしい道具だよね。 でも、それを使う人間がうまく使えなければ、そのハサミに価値はない。 逆に、人も自分も傷つける凶器にだってなってしまう。 ハサミに依存し、その切れ味を自分の力だと思い込んでいるうちは、 その切れ味で自分の価値を削り取ったり、 人の力を奪い取ったり、その心を切り刻んだりしてしまう。
人は自分が無力だと心の底から知った時、 初めて、自分以外の全ての力を自分のものにできる。 自分が無力であると認めるのはとても恐ろしい作業であり、 自分の存在価値がなくなってしまうようにも思えるかもしれない。 けれど、私達は、自分の無力を認めた時、初めて輝き出す。
私達は常に媒体でしかないんだもん。
媒体である私達は常に空(くう)であり、 ねねの日記で言う想念が目の前の全てを作り出す。 人の想念は万物を生み出す。 生み出したものは、どんな歪んだ想念から生まれたものであれ、 その想念が存在する限り「事実」であり、その想念の元には「真実」となる。 つまり、ある意味、真実はとてもフレキシブルなものであり、変幻自在だとも言える。 その変幻自在な真実に捕われてしまうことは、とても苦しいこと。
自分達が空(くう)であると知ることで、 私達は初めてすべてが幻想であるということも知る。
それを知った上で、あえて、 その幻想世界で踊ってしまう自分と付き合うことを味わいたいと思うな。 つーか、日々、踊りっぱなしだよねー。 要は、踊るのがいけないんじゃなく、 踊っている自分を知っているかどうか、なんだと思うよ。
よくクライアントさんには話す「第三の自分を持つ」こと、 シンプルにそれに尽きると思うのです。 それは、バランスを保つということでもあり。
ああああ、なんか話がカタイけど、 書いてるうちに、はんなりと般若心経ワールドっ。
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