おひさまの日記
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ここ少しの間、骸骨のヴィジョンが浮かんで仕方なかった。 しかも、土の中に埋められてて、掘り起こしたゾ、泥で茶色だゾ、みたいな。 ううう、見たくねぇ、白骨死体気持ちわりぃ…そう思ってかき消すのだけど、 なんつーか、どうしても浮かんでくる。
後になって、すごく自分勝手な解釈でこの骸骨のヴィジョンは解決した。
去年の夏頃かなぁ、チャネラーのミカエルさんのセッションを受けた。 「男性が怖くありませんか?」 彼に聞かれた(全然怖くないんだけど(笑))。 私は前世で尼僧だった時、男性にレイプされ殺されたのだそうだ。 神に仕えてきたのに、なぜ私はこんな惨い目に遭うのだ!? 神は尽くしてきた私にこんな仕打ちをするのか!? そうして神を憎んで死んだそうだ。 だから、私は魂の根本で神を信じていない、そう伝えていただいた。
ふぅん、そうなんだー、でも、だからと言ってどうすりゃいーんだ!? そう思って1年近くが経つ。
そして、その骸骨が、レイプされ殺された私の成れの果ての姿だとピンときた。 なぜって、それはよーわかりません。 ただ、そうだな、って思っただけ。 そう思うと腑に落ちるので、そうだと思っただけ。 真偽はどうでもいい。
そういうものが浮かんでくるということは、 今まで見なかったことを見るということは、 もう清算してもいい時が来たんだと感じた。
カラーブリージングを始めて、私は日々ピンクの色を自分の中に取り入れている。 ピンクは私がヘドが出るほどキライな色だった。 見るとムカつくのだ。 身に付けるなんてもっての他、気分が悪くなるのだ。 ピンクは愛の色。 私が憎んでいたピンクは愛の象徴だった。 それが、カラーブリージングによって、私の中に抵抗なく入ってきた。 数日カラーブリージングを続けることで、私はピンクへの嫌悪がなくなってきた。 素敵な色だなぁ、そう思えるようになった。
そして、今まで好んで身に付けていた黒を着たくなくなった。 ま、とりあえず、今は。 私の黒好きは徹底していて、いつもカッコは黒が多かった。 そう、黒は喪服の色。 私は常に真っ黒でいることで、自分を弔っていたのかしら?そう思った。
ピンクが好きだと思えた頃、骸骨のヴィジョンを見始めた。 そして、あるセッションで、 遊廓で身を売っていた女性が憎しみを激しく感じる前世にご一緒した時、 私はシンクロし「憎い!憎い!」という感情が爆発し、涙が止まらなくなった。 (誘導しながら一緒に泣いてる奴) その時、私の中にあの骸骨のヴィジョンがはっきりとまた浮かんできた。 「なぜこんな目に遭うの?なぜ?」 クライアントさんのその叫びと私の心の叫びが重なっていた。 その骸骨は森の中に埋められ、黒のシスターの服を着ていた。 セッションをしている私の隣で、前世を体験している私がいた。 そこには確実にふたりの私が存在していた。 ひとりはセッションを冷静に行っているのに、 もうひとりは吹き出してくる感情に身を任せていた。 奇妙な、初めての体験だった。
なんか、私は、いや、その尼僧は、ようやく成仏?したのかも、そう思った。 愛なんてない、神なんていない、そう思い憎しみの中没したけれど、 なによりも欲しかったのは愛だった彼女。 ピンクとして私の中に入ってきた愛に救われたのではないだろうか、そう思った。
昔、ねねが私を透視した時「憎い、男が憎い」と言っているヴィジョンをとらえた。 それを聞いた時はハテナだった、男大好きだし。 でも、今になって思うと、その尼僧なのかもしれないと思った。 自分をレイプし殺した男、奉仕し信じてきたのに惨い人生を与えた神、 憎くんでたんだろうね。 ねねはやっぱりスゴイ!
ピンクは愛の色。 私が憎んでいた色。 私は深い深い意識の奥の奥で、神の愛を拒んでいたのだろうか。 それを、愛というものとしてではなく、シワなくしたい!という不純な動機で、 ピンクという単なる色を自分の中に取り入れた時、 私の中で何かが動きだしたのだと、勝手に思っている。 色にもそれぞれのエネルギーがある。 色は力を持っている。 それを強く感じずにはいられない体験だったし、それはまさに大きな収穫だ。 私の中で間違いなく何かが動き出しているのを感じる。
ここに書いたことが真実かどうかなんてことはどうでもいい。 私の中で腑に落ちた、それがイチバンなのだ。 スッキリしたかどうか、気持ちイイかどうか、 そして、何をつかんだか、それが、それだけが大切だ。 どの道を通っても目指すゴールにつけばいい、そんな感じで。
私のところにいらしくださるクライアントさんの体験が、 私のためのものでもあるということは、いつも感じている。 そして、この時、それを改めて強く認識した。
忘れそうな昔の体験や、昔人に言われたこと、そんなモンが、 ずっと後の何かと合致して、初めてひとつの何かになることがあるんだと、 それも改めて強く感じたね。 セッションなんて、実はそういうものなのかもしれないな。 まさに「プロセス」そのもので、 ひとつのセッションは、ひとつの「かけら」なんだ。 だから、セッションを重ねるのは「かけら集め」なんじゃないかと思った。 後になって何か大切なものを産み落とすための小さなかけら。
森の中の遠い昔の私の骸骨さま、どうか成仏してくだせー。 前世と来たら、さすがにもう土と化してるとは思うけど、その想念がね。 なんまいだー。 カムサハムニダー。
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