おひさまの日記
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2003年06月29日(日) |
ミュンヒハウゼン症候群 |
今日、特命リサーチ200Xー2で、あるイギリスの女性の 「代理によるミュンヒハウゼン症候群」による幼児連続殺人、殺人未遂を取り上げていた。
「ミュンヒハウゼン症候群」とは、簡単に言うと、 自分自身にケガや病気を意図的に起こし、もしくは、そうであると偽り、 周囲の関心を得る行為を行うこと。 それによっての人間関係をコントロールするのが目的なのだ。 ケガや病気を負うことにより人間関係をコントロールする、 つまり、彼等の意識を自分に引き付ける。 そして、自分の存在意義を感じてゆく。 病気や使用薬物の吹聴、アピールなどもそれに当てはまるだろう。
そして、「代理によるミュンヒハウゼン症候群」とは、 自分自身に行っていたケガや病気の捏造を、他人に行うことを言う。 その多くは、母親による子供への虐待という形が多い。 子供にケガをさせ、もしくは薬物等で病気をさせ、 病院に運び込んだり、看病したり、その姿を人に見せ、 同情や賞賛等の感情をあおり、周囲の意識をコントロールする。 彼等の意識を自分自身に引き付け、自分の存在価値を感じてゆく。
そのミュンヒハウゼン症候群の人の多くは、 幼児期に十分に親の愛情を受け取れていない、 または、現在の人間関係の中で自分の存在価値を認めてもらえていると感じられない、 そんな、自分が大切にされていないという痛みからの衝動で、 そういう行為に走るケースが多いそうだ。
特命リサーチ200Xー2で放送していたそのケースは、 看護婦である女性が、小児病棟に入院している子供達に薬物を意図的に投与し、 彼等が死に瀕する状況を目の当たりにして活躍する自分、それを嘆き悲しむ自分を、 周囲にアピールすることにより、自分の存在価値を高め、確立していたケースなのだろう。 それにより、多くの子供達が命を落とし、多くの子供達が重度の後遺症を患った。 彼女は自分の親友の子供の命まで奪った。
彼女の行為は異常で過剰だと思った。 けれど、よくよく考えると、 私達の誰もがそうなりうる可能性を秘めているのではないかと思った。 もちろん、彼女の行為は犯罪であり、許されるものではなく、 絶対にあってはならないことなのだが。
私は、子供の頃、暴力を振るう父の元に育ち、 思春期の頃には、彼が暴れ出すと、 わざと体の一部にケガを負って大騒ぎするようになった。 カミソリで腕や手の甲を切るようにもなった。 時々、精神病のフリをし、わざと異常な行動を取ったりもした。 病院に担ぎ込まれると、医師の前でもキチガイのフリをしたこともあった。 精神安定剤を打たれると、おさまったフリまでした。 すべて計算づくだった。
そんな体験を経てここにいる今、 その、ミュンヒハウゼン症候群は、実はヒトゴトではないのだ。 テレビのそのケースを見て、異常だと思う反面、 そこまで精神が歪んでしまう苦痛があったのだと容易に思える自分がいる。 ごくごく軽度のミュンヒハウゼン症候群は、誰の中にも存在するのではないだろうか?
私だってそうだ。 ダンナは、共働きでありながら、家事の「か」の字も手伝わずにゴロゴロ、 日頃、何か話しかけても、あーだの、うーだの言って、 私の話よりもテレビの方が大切だというような態度でいることも多い。 そんな時、我慢の限界が来ると、私は必ず病気になる。 仮病だ。 「頭が痛いの」 「吐き気がするの」 「熱があるの」 そうすることによって、彼の意識をコントロールする。 それもこれも、 「私が病気になると、彼は私にやさしくなる、言うことを聞いてくれる」 という体験に基づくものだ。 彼は、私の計画通り、急にやさしくなり、家事を手伝い、かいがいしくなる。 私はしてやったりとベッドにもぐり込む。
私はちょっとしたおしおきのつもりでやっているが、 実は、その根底では、正面からコミュニケーションを取る恐れを持ち、 別の手段でのコントロールの心地よさを知っている私が存在する。
その番組の中で、アメリカのえらーい先生が、 私達の全員がミュンヒハウゼン症候群になる可能性があると言っていた。 その通りだと思った。
今日、ダンナがいきなり怒り出して、私を責め始めた。 私の天然な言動にキレたようだった。 その時、急にすごく胸が痛み、息が、ハッ、ハッ、と短く苦しくなった。 心臓がものすごい動悸だった。 吐き気までしてきた。 そして、その時の感覚は、昔、父が暴れだして私をことごとく打ちのめした、 あの時の感覚と同じだった。 私は、大きなショッピングセンターのまん中で、人目もはばからず涙をポロぽろこぼした。 「こわいよー、こわいよー、やめてよー、許してよー」 私は心の中でただただ繰り返していた。
ダンナがキレて、私がここまで病的にひどくなったのは初めてだった。 今なら新しい癒しの段階に入ったのかもしれないとも思えるけれど、 その時は、そんなことよりも恐怖の感情が強くて、何も考えられなかった。
まだこんな感情が残ってたんだ… 私はそんな自分を思い出して思う。
そんな矢先に見た「ミュンヒハウゼン症候群」の番組、 それは、私に多くの示唆を与えてくれた。
カラーブリージングを始めて、 レイプし殺された尼僧の前世のフラッシュバックが始まって以来、 恐らく、私に新しい癒しの段階が訪れているのではないかと思う。 それから、あらゆる出来事を通して、 今まで目をそむけていたであろう、感じてもうやむやにしていたであろう、 そんな感情や感覚が一気に吹き出している。 それをあおるような出来事が起こっている。 だから、とても苦しい。
私は自分でもずっとヒプノセラピーを受け、 まるで、体験談の見本のような退行をしていた。 それが、ある時から、過去の記憶へ誘導されると眠ってしまって退行できなくなった。 そこには大きなブロックがあるのだろうと、漠然とは考えていた。 今、私のその部分にメスが入ろうとしているのかもしれない。
とても怖い。 けれど、受け入れようと思う。 きっと時が来ているのだ。
セラピストであろうと、癒しは一生の作業だ。 私にも手放せていないものはまだある。 ゆえに、苦しみもまだある。 だからこそ、私はこの仕事を続けていきたい。 私の体験を、そのまま出会う人に伝えたい。 私の癒された体験が、出会う人の癒される体験になる。 私は自分が体験した分しかセッションを提供できないのだ。 だから、挑む。 自分のためにも。
私は、いつかこの目で真実を見たい。 果ての果てにある真実を見たい。 人が生きるということの意味を。 人が生きるということの喜びを。
私は負けないんだ。
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