おひさまの日記
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私達は生きるための武器を持っている。
ポケットにバタフライナイフを隠し持ってるとか、 押し入れにバズーカやロケットランチャーがあるとか、 そーゆー物騒なモノではない。
私達の武器、それは目に見えない武器。 時には、武器に見えない武器。 昨日の日記に書いたミュンヒハウゼン症候群もそのひとつだろう。
太宰治の「人間失格」を読んだことはあるだろうか? その主人公の武器は「道化」だった。 人々の前でおどけて笑いを取り、時には嘲笑の対象にさえなることで、 自分のダークな本質を隠し、人々とのつながりを保った。
虚勢、名声、立場、高いブライド、才能、金、 セックス、暴力、病気、嘘、従順さ、笑顔、弱さ、冷静さ、 傷、涙、無知、無関心、無感動、被害者意識、
あなたの武器は、何? それでつなぎ止めているものは、何? それで維持しているものは、何? それで守ってるものは、何? そして、それは、あなたの本当の幸せ?
私達は、たくさんの守りたいものを持っている。 安全、安心、立場、評価、人間関係、愛情… もっともっと無限にあるはずだ。 どういう形であれ自分を受け入れてもらわないと、 私達は自分の居場所を失い、自分の価値を失う。 だから、武器を持つのだ。
武器の使い方は二通り。 ひとつは、人を脅かし支配する方法、 もうひとつは、人の意識をこちらに向ける方法(往々にして自己犠牲が伴う)、 後者は武器をエサに例えることもできる。 「ほらほら、これをあげるから、これをしてあげるから、こっちへおいでよ。 私の側にいればこんないいことあるんだから」 「私はこんななんだから、あなたは言うことを聞かなくちゃダメなのよ」 「ねえ、私を仲間に入れてよ。 あんなこともするし、こんなこともする、なんでもいう通りにするからさ」 ってな感じで。 どちらにも共通するのは、そこにコントロールが存在するということだ。
コントロール、それは、 なんらかの形で相手の意思を操作すること。 時には、相手の意志を無視して何かを強制すること。 そこまでして守ったものは、本当に自分にとって素晴らしいものなのだろうか?
何より、武器を使って人をコントロールしても、 その人の本当の心をつかんだことにはならないんだよなぁ… それって、本当はすっごくみじめなんじゃないだろうか。
今日、そんなことを考えていた。
私も武器を持っている。 恐れと不安から握りしめた見えない武器を持っている。 それらにより、それとは気付かれないコントロールの数々をしてきた。 そして、守り抜いたものもあった。 上手く切り抜けた修羅場もあった。 けれど、私は本当の意味で幸せではなかった。 なぜなら、コントロールにより奪い取ったものが自分に残ったから。 それは、相手が本当の意味で私に与えてくれたものではなかったから。 満たされないのだ。 そして、それは自分の価値の放棄でもあったんだ。
とても怖いけれど、武器を手放し、少しずつでも武装解除したいと思った。 それは、自分が恐れと不安に基づき、武装し、 それによって人をコントロールしているということに気付くことから始めるのだ。
なんか、抽象的な話になっちっただすな…
ふうん、そうなんだ、でも、私は、俺は、そんなことないな、 そう思った人が、実はいちばん武装してるのかもしれないよ。 ふふふふふふふ…
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