おひさまの日記
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2003年12月04日(木) 不器用な私達

私達は、自分の意見や存在を認め受け入れてもらうことで、
愛を感じようとする生き物だ。
でも、人はひとりひとりが違う人間で、考え方もなにもかもが違う。
誰も、たとえ親子でも、相手をコントロールすることはできない。
愛を持って待って導くことは必要でも、コントロールは不要なのだ。
けれど、私達は悲しいかな、コントロールに成功した時に、
愛すること、愛されることに成功したと勘違いしてしまう。
だから、私達人間はすれ違っていく。

でも、本当は、ただ愛し合いたいだけなんだ。
家族もそう、すべての人と、ただ愛し合いたいだけなんだ。
傷つけ合わずに、ただ愛し合いたいだけなんだ。
あなたを認めますよ、受け入れますよ、愛していますよ、って、
言ってほしいだけなんだ。
ただ、それだけ。

この仕事をしながら、年齢を重ねて、私はようやく思う。
人とはなんと愛すべき存在なのだろう。
そして、なんと遠回りする不器用で愛おしい生き物なのだろう。

だから、私は、自分が遠回りした分、誰かが近道できるように、
何かできたらいいなぁ、って、この仕事をしている。

認めて、受けれ入れてもらえない悲しみは、
やがて、怒りや無関心となり、私達の愛を麻痺させていく。
自分自身への愛さえも失っていく。

カウンセリングやセラピーを通して親の痛みと愛を知った時、
私はそれまで思い出すことのなかった楽しい親との出来事をいっぱい思い出した。
苦しみに溺れていた時は思い出しもしなかったのに。

先日、寝たきりの父の部屋に入り、話をした。
昔、私を罵倒し、手をあげていた父の面影はほとんどない。
弱々しい小さな老人だ。
「お父さん、
 昔、私がいたずらした時に怒らないでかばってくれて嬉しかったよ。
 お父さんが謝ってあげるから、いっぱいいたずらしなさい、って、
 言ってくれたよね。
 嬉しかったよ」
そう伝えると、
「覚えてない」
とひとこと言って寝返りを打った。
少しして「思い出した」と言って私の方を見た父の目は潤んでいた。
じゃあ帰るね、と言って、そうしたい衝動で父の手を握ると、
彼は私の手をぶっきらぼうにふりほどいて布団にもぐり込んだ。
部屋を出ようとすると、父は急に布団から顔を出し、
少し笑って「また来いよ」と言った。
不器用で、傷付いていて、愛おしい父だった。
勇気を出して話してよかった、そう思った。
同じく不器用な私は、
父にありがとうを伝えるのに30年以上もかかった。

私の過去は苦しい過去は完結している。

不器用だから私達は愛すべき存在なのではないでしょうか?
痛みにまみれながら必死に光を求めようとする
愛すべき存在なのではないでしょうか?


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