おひさまの日記
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人は「わかってもらえない」と感じると、心を閉ざしていく。 受け入れてもらえなくて、それ以上傷付くのが辛いから。 そして、辛いから、それを感じるのが苦しくて、無関心になってゆく。 無関心になって、かつて相手を愛していたことさえ忘れようとする。 やがて離れようとする。 そういう生き物だ。
私達の無意識の中での判断基準は、 自分が傷付かないためになにをするか、なのだ。
傷付かないための行為とは、 人を攻撃すること、 人をコントロールすること、 自己を抑圧して感情を消し淡々とそこにいること、 心を閉ざして離れること、 色々、色々だ。
他人への攻撃。 自分を正当化することにより、自分の存在価値を見い出そうとすること。 私は正しい、私は間違っていない、そう思うことが自分を救う。
コントロール。 立場や力や威圧によって相手をいう通りにさせ、 自分の思う通りに動かすことによって、 自分の正しさを感じて、自分の存在を正当化すること。 あなたのため、という大義名分のもとに行われるコントロールもある。
自己の抑圧、感情の消去。 相手に受け入れてもらうために、自分の意志や感情を放棄すること。 放棄せざるを得ないこと。 子供が親に対してよく行う行為。
心を閉ざし離れる。 上の、自己の抑圧、感情の消去、の次の段階。 本当は愛されたいのに、否定を受け続け、その痛みに耐えきれず、 無意識に感情のブレーカーを落とし、 愛されることよりも傷付かない選択をしていく行為。
私達は、常に、常に、自分が傷付かないように生きている。 それがどんな形で表れようと、根底は一緒だ。
だからなんだってんでもない。 ただ、書きたかったんだ。
それを知っていると、 大切な人と向かい合う時に、とてもいいんだ。 とても。 何より、自分を知ることができる。
だからと言って、私達は自分の傷に溺れてもいけない。 傷付いていることを理由に人をコントロールすることだってできるのだから。 被害者は加害者以上に相手を陥れることだってある。 傷付いた場所から逃げ出さない人がいるのは、 このコントロールの心地よさを知っているからだ。 そのコントロールは一種の快楽だと、私は知っている。 こんなに傷付いているのだから、 私を大切にしなさいよ、癒しなさいよ、いうことを聞きなさいよ、って。
私はかつて、その麻薬みたいに心地よいコントロールの中にいた。 それは自分の力の放棄でもあった。 できることもできないのは、この傷のせいよ、って。 できない私を許しなさいよ、受け止めなさいよ、って。 あなたがなんとかしなさいよ、このすべてを、って。
ダンナは言った。 「悲劇のヒロインになるのはいい加減にやめろ!」 その言葉は私の胸に突き刺さった。 痛いところをいい感じに貫いた。
傷を知る。 その痛みを知る。 ただ、知る。 何の道具にも言い訳にもしない。 それは私達を殺しはしない。 向かい合ってあげればいい。 強い意志と勇気を持って。 新しい選択と共に、新しい選択のもと新しい行動と共に。 その時、初めて、私達はそれを手放し始める。
私達は、ただ愛してほしい。 愛する人に。 そのためには、自分自身にこびりついたフェイクな何かを、 剥ぎ取って捨てていくしかない。
自分の力と意志を、他人や他のものにゆだねてしまう時、 それらを見ないようにカモフラージュする何かを行使する時、 権力や立場、正論で相手を制しようとする時、 人は人生の歯車を狂わせていく。
今日も浮かぶままつらつらとタイプ。
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