おひさまの日記
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2003年12月28日(日) 負の快楽

私達には「負(ふ)の快楽」ってもんがある。

傷付いた自分でいることで、
未熟な自分でいることで、
私達は案外多くのぬるい恩恵を受け取っている。
そのぬるい恩恵が「負の快楽」だ。

たとえば、私の場合、
私ってダメな人間なの、できないの、わからないの、って、
言葉態度で限りなく連発していた頃は、
「私はかわいそうで苦しいダメ人間だからやさしくしてね。
 あなたがいれば私はダメじゃなくなれるわ。
 だから、私にうんとよくしてね」
言葉なき言葉で、周囲にかわいそうでみじめな自分をアピールしていた。

今思うと、その頃は、すべてすべてを人のせいにしていた。
今私がこうなのは誰それのせい、
誰それがあれこれしてくれないから変われない、って。

そして、そういう態度で周りの人をコントロールしようとしていた。
「だから私の言うことを聞きなさい」と。

もちろん、表面ではそんなこと思いもしなかった。
私は常に正当である、そう信じていた。

苦しい場所は居心地のいい場所でもあるというパラドックス。
私にとって苦しい場所とは、
自己成長を放棄し、わがまま放題、したい放題できる場所だった。
そして、それを手放せない、そこから逃れられない自分を演じていた。
無意識のうちに。

自分の苦痛を代償に手に入れる何か。
免罪符になった傷によって許されるある種の怠惰。
前進、成長、努力の放棄。

自分が持っている無意識の「負の快楽」に気付くこと、
そして、それを認めることで、必ず何かが変わる。

自分を大切にしてくれる誰かがいることで、
私達は強くなれるし、支えを得る。
でも、その人は自分を変えてはくれない。
ましてや、負の快楽でコントロールしてそばに置いた人達は、
なおのこと私達には何もしてくれない。




無意識を意識化してみると、色々なものが見えてくる。


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