おひさまの日記
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私のことを好きな人がいる。 私のことを嫌いな人がいる。
私のことが気にかかる人がいる。 私のことはどうでもいい人がいる。
私と合う人がいる。 私と合わない人がいる。
私に好感を持つ人がいる。 私に反感を持つ人がいる。
私に賛同する人がいる。 私に反論する人がいる。
私を素敵だと思う人がいる。 私をダメだと思う人がいる。
私をスゴイと思う人がいる。 私をたいしたことないと思う人がいる。
私が、いつも、常に、その時々の自分でいることで、 それを肯定する人と、それを否定する人と、その両方が存在する。 そして、そんなことはどうでもいいという人も存在するし、 私の存在を知らず、ゆえに私のことなどどうでもいい人も存在する。 生きるってそんなもんだ。
昔、私は、 人に嫌われるのが怖かった。 人に否定されるのが辛かった。 人に誤解されるのが悲しかった。 そして、それは今も変わらない。
けれど、嫌われることや、否定されること、誤解されることを、 自分の人生からなくすのは不可能だと思う。 人は、黙ってそこに立っているだけで、 相手の単なる反応よって恨まれることだってあるのだ。 それを、考える、喋る、行動する、あらゆる表現をしていくとなれば、 なんらかの反応を引き起こす確率はどんどん高くなっていく。 つまり、生きてゆけばゆくほど、人の反応にさらされるということになる。 「犬も歩けば棒にあたる」なのだ。
そう思うことで、私は少し楽になった。 それらは「仕方のないこと」だと考えられるようになった。 かと言って「すべての反応をただ受け入れるわ」という 素晴らしく崇高なモードでいるわけでもない。 イヤなもんはイヤだ。 どちらかと言うと、あきらめがついた、そんな感じかもしれない。 仕方のないものには太刀打ちできないし、 太刀打ちしてる時間ももったいないので、 人はそこから案外早く抜けられるもんだ。 あきらめるってのはこんなにも楽なもんかと驚いてる。
人の意見を聞いて自分の改善点を見つめていくことと、 人の反応に翻弄されて自己卑下するのは別モノであり、 前者は成長すること、後者は自分を見失うことだ。 傷付きながらでも前者を選択するために、 そして、精神的ダメージを最小限にするために、 「仕方のないこと」とあきらめた時、 そこには、なんだか今までと違う世界があったように思う。
よろよろ頼りなく不格好に歩いているようで、 ひょっとしたら、実は、それが、 上手く生きるってことのひとつじゃないのか、なんて思ったりした。
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