おひさまの日記
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2004年01月21日(水) 新たな選択

今日のクライアントさんが言った。
「手放さなくちゃならないのかなぁ」
って。

私達はよく「手放す」という言葉を使う。
傷を手放す、痛みを手放す、恐れを手放す、観念を手放す、
それを自分からなくしていく、そんなニュアンスで。
それは、それらがなくなればいい、そんな想いかもしれない。
そして、その先には、
今と違った素晴らしい自分、今と違った理想の自分が存在する、
そんなイメージもあるのかもしれない。

それは、人の切なる願いと言ってもいいかもしれない。
こんな私じゃなかったら、こんな気持ちじゃなかったら、
私はうまくいくのに、こんなものを手放せたら…
人はそんなことを考え、苦しむ。
自分が持っているものによって、自分が苦しんでいるから。

彼女は続けた。
「私は手放したくないんだ。
 過去があって今の私がいるから。
 それも私だから」

その言葉は私の中にスーッとしみてきた。
そして、私は「手放さなくていいよ」と答えた。

彼女とのやりとりが、
私の中にあって揺るぎのないものとなりつつあったそれを確固たるものにした。
去年の後半あたりから、常に常に思い、心を砕いてきたこと。
そう、手放さなくていいということを。

私達は心の中にある手放そうとしているものを手放さなくてもいい。
共存していけば。
それが自分を苦しめるものでもいい。
自分が嫌いな自分さえ。
そばに置いて眺めて、
仕方がないとあきらめて、
それでいいんだと思ってみると、
私達は新しい世界を手に入れる。

私は昔そういうものを手放そうと必死だった。
それを憎んだ。
それさえなければと思った。
それは私から剥離して記憶の彼方で泣いている私だった。
私は私を突き放し、消してしまおうとしていた。
けれど、土台無理な話で、そうしようとすればするほど、
それはやめてほしいとすがってきた。
悲鳴は段々大きくなった。
抱きしめた時、それは、依然として私を苦しめるものだったけど、
新しい道を示してくれた。

今日「手放したくない」と言った彼女は、
無意識に手放していたものを取り戻した。
目を開けた彼女を見た時、
私は彼女を待っている新しい世界があることを確信した。

通り越すものを通り越した人が自然に体得する「あるがまま」でいいということ、
この言葉を武器に違う意味であるがままでいてしまうこともできて、
別の考え方をすれば、時に、とても怖い言葉だけど、
それでも、人は、様々な段階を踏んで、そこに辿り着こうとする。
無意識の衝動で。

私達は苦しみと共に生きていけるのだ。
それを選択し、共に生きた時、それはもはや苦しみではなく、
愛おしい自分の一部になる。

きっと、誰もがいつか体験する。


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