おひさまの日記
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2004年01月23日(金) いつか来る日のために今日私がしたこと

今日、実家に帰ると、母の様子がおかしい。
ろれつが回っていない。
天井が回るような激しいめまいもするらしく、立ち上がるのにも苦労している。
母は弱々しく、一気に老いたようにも見える。
私はものすごく心配になった。
原因ははっきりせず、また検査をして詳しく調べるそうなのだが。

私は、いつも、いつも、どこか自分の中で考えてはいたけれど、
それでも見ないようにしてきたものに直面した。
それは、母の死だ。
母は今年で72歳になる。
死んでもおかしくない年齢だ(爆)
いや、本当に。

私は、実家から帰る時、
門の外で見送って手を振る母を車のドアミラーで見ながら、
これが生きた母を見る最後かもしれない、と、いつもどこかで思ってる。
でも、絶対に言葉にしなかった。
言葉にするのが恐かった。
そんなことあるはずがない、そうかき消した。
どこかで自分の親が死ぬなんてあり得ないと信じていた。

でも、今日は違った。
「いつかお母さんは死ぬんだ」と、とてもリアルに思った。

そして、ドキドキしながら母に言った。
「お母さんが死んでしまった時のために、話し合いしようよ」と。
すると、母はあっさり、
「大切なことだよね。ちゃんと話しておかなきゃ」と答えた。

私がそう切り出したことで、母は今まで私に黙ってたことを話し出した。
へそくりのありか(笑)、通帳や印鑑の保管場所、
自分が死んだら私に渡そうと思っているものを隠している場所、
家に関する色々なこと、
たくさん、たくさん、話してくれた。

とても悲しいことが前提にある話し合いなんだけど、
私と母はなんだか楽し気だった。
実は、私も母も、この日を待っていたのかもしれない。

私はすごくホッとした。
これからいつか訪れるであろう母の死を受け入れられたからだ。
そして、きっと、母を安心させることができたのではないかと思ったからだ。
私はひとりっこ。
そんな私を置いてこの世を去る母親の想いがどれほど苦しいものなのか、
自分がひとりっこの母親になってよくわかっている。
この子は私が死んだらどれほど悲しみ、よりどころを失い、寂しくなるだろう、
そう思うと、母は胸が張り裂けそうな想いだっただろう。
ずっと心を傷めてきたに違いない。
だから、私は母に伝えた。
「悲しいことだけど、いつか必ず来ることだし、ちゃんと準備したいんだ」
母はそれを聞いて、
娘が自分の死を受け入れる覚悟と準備ができていることを知ったのだろう。
私は、間違いなく母に安堵が訪れたことを感じた。

私の夢は、そんな母をディズニーランドと温泉に連れていくこと。
それが絶対に叶うと信じながら、私はいつか来る母の死と向かい合った。

帰りに車に乗ると、窓を開け母に言った。
「お母さん、こういう話したから言うけど、
 私はこの家にお母さんの子供に生まれてよかったよ。
 小さい頃はお父さんの暴力で辛かったけど、
 そのおかげで今の仕事するようになったし、
 私は今とっても幸せなんだ。
 お母さん、大好きだよ」
そして握った母の手は、
冬の空気でひんやりして、しわしわして、かさかさだった。
でも、やさしい手だった。
母は私の手を強く握り返した。
「逝く時は、安心してぽっくり逝ってくれ」
私がそう付け足すと、母は大笑いした。
「本当にそうだねぇ」
と言って。

今日、私と母は、一歩前に進んだのかもしれないと思った。

母の今の調子の悪さが大した病気ではなく、
すぐに治ることを祈りつつ、いつか来る別れも覚悟し、
私は今、やさしく悲しく、なんだか穏やかな気持ちでいる。

お母さんの子供に生まれてよかった。
お母さん、大好き。
ありがとう。

とは言え、私の母ちゃんなんだから絶対に長生きするよ。
長寿でギネスに載れよ、って、いつも言ってるの。


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