おひさまの日記
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今日は、某病院のショートステイ期間が終わり、 父が老人介護施設へ移る日だった。
完全入所が決まったわけではない。 素行があまりに粗暴なので、契約させてもらえなかったのだ。 テスト期間としての2週間前後のショートステイの様子によって、 受け入れ可能か否かの結論を言い渡されることになっている。
母は今も別の病院に入院していることにしてあるので、 仮入所には私とアンナが付き添った。
父は老人介護施設への入所を拒否。 誰も喜んで入る人はいないだろうから、それは当然だと思った。 現実問題、母も私も介護が不可能な状態、 それを伝えたが、やはり普通に伝えて通じる父ではなかった。 私の話では納得しなかったために、 改めてやさしく事情を説明してくれたケアマネージャーに、 父は「あんたはうるさい!」と大声で怒鳴って殴りかかった。
それでもなんとか送迎車に乗った父、車中、ホームでも、怒鳴り続けた。 父は、母のせいでこうなった、死ね、死ね、と言い続ける。 私には、お前が俺をこんな目に遭せた、すべてお前のせいだ、と言い続ける。
父は傷付き、愛に飢えている。 痛みゆえにそうなってしまった。 だからと言って、できることはもうなかった。 私と母はできる限りのことをやり尽くした。 老人介護施設は最後の選択だった。
私は頭が真っ白になっていくの感じた。
確かに、施設への入所は父の意思に反していた。 けれど、じゃあ、どうすればよかったのだ? 一家で身も心もぼろぼろになって死ねばよかったのか? そんなことを、感情の波も通り過ぎてしまった私は、ただボーッと考えていた。
大荒れの父をなんとかかんとかひとまず施設に預けて帰宅し、 私は母に今日のことをありのまま報告した。
母は、40年頑張ってきた自分に対して、 死ねという言葉を受け取った事実に愕然としていた。 そして、しばらくボーッとした後、言った。 「施設にお願いしてよかったんだ。 私はずっとここで何をしてたんだろうねぇ…」 私は母に、ふんぎりついたでしょ、と言った。 そのふんぎりのためにも、あえて過酷なことを伝えたのだ。 母は、うん、とうなずいた。 そして、話し始めた。
「今までねぇ、言わなかったんだけど、 恵美の所に行きたいから連れていってほしいってお父さんが言ってね、 一緒にタクシーに乗ったことがあったんだ。 しばらく走って、お父さんの方を見たら上着が変にふくらんでたから、 何持ってるのかと思ったら、包丁だったんだよ。 何に使うのか聞いたら『今日こそ恵美を殺す』と言ってたんだよ。 私はそこでタクシーを飛び下りたんだ。 実の娘をだよ、殺すって言ってきかなかった。 恵美を殺すと言って包丁持って飛び出したのは一度じゃないんだよ」
それを聞いて、体が震えるような悲しみと共に、私の中で何かが終わった。 母はそれを私に伝えることで、私を助けれくれた。 私も母に言った。 「ふんぎりついたよ」って。
その後、お世話になった病院のケアマネージャーと会った。 彼女は言った。 「介護は我慢した者負けです。 介護する方が相手に殺意を持ってしまうくらい追い込まれていくんです。 お母さんと娘さんの選択は正しかったんですよ」
タフな一日だった。 疲れた。 父が受け入れてもらえるのかが一番心配だ。 これで入所できなかったら、一体どうすればいいのか? 気が狂いそうな不安がよぎる。 でも、今はもう何も考えず、とりあえず寝ようと思う。 「なんとかなる」と自分に言い聞かせながら。
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