おひさまの日記
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何かの本に、 「子供は、ほんの少しの間だけ、 神様から与えてもらった天使だ」 って書いてあった。
成長して親から離れる時、 物理的には一緒でも、精神が独立しようとする時、 子供はひとりの人間として親とは完全に別々の人生を歩き出す。
それまでの時間が、きっと、私達親に与えられた贈り物なんだと思った。 小さな手、無垢な寝顔、無邪気な発想や言葉、可愛らしい振る舞い、 すべて、すべてが、宝物。 歪んだ大人の心でさえ、まるで洗い流されるような。 毎瞬、毎瞬、何かを教えてくれる子供。
裸んぼうの子供を見ると、本当に天使みたいだな、って思う。 アンナが1歳の頃、トイザラスで買った天使の羽セットを、 すっぽんぽんの彼女につけてみた。 本当に天使みたいだった。
私達の親も、きっと、そんな気持ちで私達を見ていたに違いない。 たとえ、仕打ちのようなことをされてきたとしても、 そこには愛があったのだと思う。 傷ゆえに歪んだ親達でさえ、子供を愛しているのだと思う。 今、決していい親にはなれない自分を見て、そう思う。
私達も天使だったのだ。 心の真ん中に光る真実を持って。 その真実は今も私達の中にある。 ただ、色々なことがあり過ぎて、 その周りに暗雲が立ち込めていたり、 その真実を隠さなければならなくなってしまったり。 でも、光を失ったわけじゃない。 意識のいちばん深い場所に隠されているだけ。 その無垢で純真なままでいたら、生きて来られなかったから、 私達はそれを隠してしまっただけで。
そして、それはいつでも表に出たいと願い続けている。 常に伝えたい「何か」を、現実の出来事や感情や体調や病気という形で、 私達にメッセージとして送り続けている。 それが「本当の自分」なのだと思う。
その真実を、光を、取り戻すのが、セラピーかもしれない、 そんなことを考えていた。
私達はみんな子供天使だったのだ。 子供天使に会いに行こうよ。 小さな自分に。
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