世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年03月07日(木) 第72夜 東グリーンランドの横顔??なんてね  

8/3日 <木  晴れ> ホテルアングサリマリク2泊め

予定
   イカッタクツアー

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 朝早く<といっても太陽は高いが> 犬のすごい鳴き声で目が覚めた。
眼下に見えているグラウンドのわきにつないである犬たちの鳴き声だった。餌をもらっている。
冬には犬ぞりを引く彼らも今の時期はあちこちにつながれてごろごろしている。
凶暴なので手を出しちゃいけないとホテルの受付でいわれたが、お互いかみつかんばかりの食事風景は「なるほど」だ。

☆★☆★☆ イカタックレポート  ☆★☆★☆ 
 
イカッタクはイヌイットたちの小集落。
このアマサリクもそうだが、イカタックも深く切れ込んだ湾内にへばりつくようにある。またまた昨日と同じボートで行く。
メンバーは昨日のドイツ人家族とイタリア人夫婦、国籍不明カップル。
このカップルの夫?氏は昨日アイスランドの空港で割り込んだ男性だ。
奥さん?は多分タイ人。肌の色、顔立ち、まずは間違いない。
彼女は東洋人で、一人の私が気になるらしく見ている。
昨日のメンバーは「やあやあ、またいっしょね」で、最初からにこやかだ。
特にドイツ人家族のお嬢さんは、私が昨日からクジラがでてこないかなといっていたのを覚えていて「今日、いるかも」などと話しかけてくる。
 
静かだ。
船のエンジンの音だけが静かで深い色をした海面に響く。
大きな氷山をよけつつ進むが、ときどき小型のモノがたくさん浮いているところがある。ぶつかる。ジャリとか、ガンという音にドキ・・・。
 
小一時間も走った頃、「シール!」という声。
イヌイットのガイドが指さす方を見ると確かにアザラシの頭が見えている。
こちらをうかがっているではないか。
オー!
しかし敵?も用心深い。
船からの視線を一斉に浴びてプクリと潜ってしまった。

タイ人らしい彼女がそばに来た。
何となく会話が始まった。
彼女は「あなた、日本人?一人?日本人はグループで行動するでしょ」と言った。「日本人だって一人で旅行する。私は一人が好き。あなたはタイから?」
そう、が彼女の答え。
彼女の夫はデンマーク人。コペンハーゲンからだった。なるほど、気安くイヌイットのガイド氏と話しているわけだ。
グリーンランドはデンマーク領<自治領>だものね。

話しているうちに、船は狭くて入り組んだ入り江に入った。
陸だ。
小屋のような建物ががけの上に見えている。どうやらイカタックに着いたらしい。しかし、船着き場らしきところはない。エンジン音が止まる。
ええ、どうして。
なんと、船に積んであったボートが降ろされた。
どうやら上陸はそれでするらしい。
先に乗り移ったイヌイットのガイド氏が一人一人手を取って小舟に降ろしてくれる。
しかし定員は3人。
3回に分けて上陸だ。
ボートに乗ると恐いほど深い色をした海が近くなる。岩陰に着くとまた先に降りたガイド氏が手を取って先導。
落ちたら氷の海。死ぬだろう。
思わず差し出される手にしっかとつかまってしまう。

みな無事に陸に着いた。岩を登ると、平らな場所にでた。
何軒かの家とつながれた犬。
数人の子どもたちが、興味津々の顔で家から出てきた。浅黒い肌、東洋系の顔、恥ずかしげな表情、ちょっと薄汚れた洋服。
不毛の岩山と氷河がバックになければ、どこか東南アジアの村の子どもといってもうなずいてしまう。
こちらがにこりと友好的な顔をすると「イヤーン」という感じで笑いながら逃げていった。

家の向こうには小さな氷山が浮かぶ入り江が見えている。
イヌイットのガイド氏はほとんど英語は話さない。
コペンハーゲンの工科大学の先生だというデンマーク人のだんなはなんと、ドイツ語、イタリア語、英語と話す。
成り行き的に彼が通訳をすることになった。
私にはタイ人の奥さんが英語で話してくれるのだが彼女は自分の手に負えなくなるとだんなの服の袖を引っ張って「この人にも英語で話してやって」という。おかげで彼は大忙しだ。

まず最初に行ったのはアザラシの解体をして内蔵や皮を干しているところだった。入り江にはしとめてきたアザラシが沈んでいる。
「ここは、以前は村があったんだ、でも今は夏だけのキャンプ地となっているところだ。夏はここでしとめてきたアザラシの解体や皮なめしをする、ほら、彼女は今皮なめしをしているんだ、でもとても内気でここに観光客が来るこを喜んでいないらしいから、写真は撮らないで」
デンマーク人だんなが顎でしゃくった方には小太りの女性が座って何か作業をしながら、こちらを見ている。
だんなはそう私に話した後、ドイツ語、イタリア語でまた同じことを説明する。
ありがたくもご苦労さんなことである。

「彼は、とてもいい人なの、だからこういうのは好きなのよ、わからないこと、聞いてね」タイ人奥さんは少し自慢そうに私に耳打ち。 
洗濯物干しのような棒には、アザラシの腸、火であぶった肉が天日乾燥中。
私には見当も付かない内蔵のムニュムニュも引っかけてあった。
アザラシのすべてを活用しようということなのだ。
江戸期、日本の古式捕鯨はクジラのすべてを活かし切っていた。
よく似ている。

次はかつての学校や教会だ。
村のあちこちにプラスチックのゴミやドラム缶が転がる。
アマサリクの町中もそうなのだが、どうも気になる。
ゴミ処理ができていないのだ。
案内された小さな家には教会、生徒が十人も座ればいっぱいになる小さな教室があった。
私の中で、あちこちに転がる「近代的なゴミ」とこの教会と学校がつながってしまう。
自然に還っていかないゴミは教会と学校をもたらした人々と共にやって来たのでは・・と思う。
教室には、今生徒が遊びに行ったばかりという感じで、世界地図や、クジラのイラストが張ってあり、本が散らばっていた
。しかしさっき会った子たちは夏が終わればアマサリクに返る。
あちらの学校に通っている。もう子どもは来ない。
極北にも「過疎」がある、のだ。ウーム。
「あそこは、この村のスーパーマーケット」
外にでるとデンマーク人だんなは下に見えている小さな家を指さす。
アザラシ以外に何もない村だからそれ以外のものを売る、というのはわかるが、いわゆるスーパーのイメージからは、もちろんほど遠い。
過疎でも、極北でも、それでも「経済」はあるってことかいな。
またまた岩の道を登る。ときどき犬がつながれていてうなる。ドイツ人のお嬢さんは「恐い!」とほとんどパニック状態でおびえる。
「大丈夫よ」と私が言ったら、「毎年この地域では子どもが何人か犬にかみ殺される。恐いんだ。とにかく近づいてはいけない。ペットとちがうからね」
とデンマーク人だんなが言い切った。
動物が好きな私のことばが彼には甘く響いたらしい。
彼らは空腹でそりを引く。
命がけ。
野生を失ったペットくんたちと確かにちがうだろう。

登り切ると船をつけた入り江と、氷山の海が一望できる。
そこに墓地があった。
ささやかな十字架がたてられた20基ほどの墓群。華やかな色の造花が供えてある。
「ここはこの村で一番はやく人が住み着いた所なんだ、ほらそこ、今から1000年くらい前にデンマーク人が住んでいた、クジラを取りに来て住み着いたらしい」
だんなが指した所はお墓群から一段低くなった一角だった。
アイスランドへ進出したバイキングたちがこの辺までやってきたことはあったろうがクジラ捕りが住み着いたと言われると「ホント?」となる。
こんな草もろくに生えない世界の果てにどんな気分で住むのかな。
悪いことをして逃げ込んだ?
捕ったクジラをここでどうしたの。
わからん。
一時避難だったらすこしはうなずけるけどネ。
「あそこは、サッカーグラウンドさ」
最後にだんなは右崖下に見えているちょっとした広場をさして笑った。
平らな土地はあそこしかない。

船に戻ると、昼食となった。ソースがかかった肉とマシュドポテト、パン、紅茶。いい天気だがやはり寒かったようだ。
紅茶がおいしい。
タイ人の奥さんと話しているうちにこの船のガイド氏のお兄さんが今札幌で住んでいるという話になった。
「それで、彼、あなたにマザラシを食べに来ないかって」
「アザラシィ?」
「そう、私たち今日の夕食、彼の家に招かれているのよ。アザラシをごちそうしてくれるんだって。あなたも行く?」
おもしろそうだ。
しかし、私は夕食つきなんだよね。
ホテルの夕食を捨ててアザラシに行くか。好奇心には勝てぬ。
「おもしろそう、行く」
 よしよしと、デンマーク人だんなは喜ぶ。
イヌイットガイド氏もニコニコ。
イタリア人の夫婦が興味を示したが「彼のお兄さんが日本にいるから彼は彼女を招いたのさ、」とかなんとだんなは説得したようだ。
お客は私だけとなった。

帰り、また一頭のアザラシにあった。
もっと沖に行くとごろごろアザラシはいるらしい。
今日もクジラに会えなかったがアザラシ2頭に出会えたことを喜ぼう。  

イカタックの空気は透明で澄み切っていた
。この地もアイスランド内陸ように原始地球の頃からあまりかわっていない。
人間は地球のほんの上面をウロウロさせてもらっている、いってみれば「間借り」させてもらっているんだということが、こういう絶対自然のような所に来ると実感できる。
人類は、もっと謙虚にやらないとやっぱりほろびるね。
ノアの箱船が来るよん、だ。

ボートを下りるとき、ふっと水の中を見たら、よく太ったアザラシが水に沈んでいた。
狩りでしとめてきたものらしい。まさかこれをたべるんじゃないよね・・・。
私が「アザラシ!」と騒いだら、みんなオーと目を丸くして水中をのぞき込んでいた。
 
船から下りた後、紫色のベルフラワーを見に行こうと、デンマーク人だんなとタイ人の奥さんのギンさんに誘われた。
アマサリクの村中を横切る一本の川に沿って山に向かうとその谷間にその花たくさん咲いていた。
濃い紫のベルフラワーだけでなくピンク、黄色、色とりどりの高山植物系の小さな植がの夏を精一杯に生きていた。
花に埋もれた谷は美しかった。
途中また、墓地。
やはり鮮やかな色の造花が供えられている。
ふつうは醜悪なその毒々しい色が白い十字架、青い空とマッチしてきれいに見えるから不思議だ。
ロンリープラネットに「イヌイットの墓地は美しい、一見の価値あり」と書いてあったが、確かに、である。

川で魚を捕る若者、氷河の水が湧いてたまった池で泳ぐ子どもたちにも出会った。冷たい水で楽しそうに泳ぐ子どもたちの元気さに圧倒された。
みんな底抜けに明るい顔をしている。
短い夏を謳歌しているのは花だけではない。

帰り、デンマーク人だんなのビョアー氏がスーパーマーケットに連れて行ってくれた。
パン、乳製品、野菜、果物、日用品、何でもあった。
驚いたことには肉の売場には冷凍のクジラ肉が置かれていた。
「メイド イン グリーンランド」と書いてある。
これが「先住民生存捕鯨」ってやつか。
でもスーパーに売られていると「なんかちがうんじゃない」というのが素直な感想。私が着いた日、ディナーで食べたクジラはここで買った来たのか、だ。
「 高いけど、ずいぶん食べ物が豊富」
と感想をいったら、ビョアー氏は「今が夏だからだよ。冬に来てごらん、飛行機も船も来られない時期がある。そうすると何もなくなる、ケースのなかなかっらぽさ、みんなジャガイモばかりか食べることになる」。

彼は字が読めるので<当たり前か>ホテルに戻る途中「ここが本屋、ここは郵便局、あそこがパンや」、掲示板を見ては「ここには、今度の週末、集会場でダンスパーティって書いてある」といろいろと教えてくれた。
部屋で一休みしていると、ドアをたたく音がする。ギンさんだった。
「あなた、ホントにアザラシを食べに行くの?」
「ええ、でも、実は私のホテルヴァウチャーはフルボードで夕食もついているの、だから、」
「だったらここで食べた方がいい、どんなものがでてくるかわからないし、お腹の調子が悪くなったら、あなたは困るでしょ。私は行っても食べない。仏教徒だし。日本人もそうでしょ」
ギンさんは真剣な顔で言った。
私は手首にお守り念珠をしているし、そう考えるのもわかるけど。
「あなたはここで食べたほうがいいと言うんだったらそうする。だけど、誘ってくれたガイドさんに悪いし、あなたのご主人にも悪い」
「私がよく話すから大丈夫。心配しないで」
ということで「アザラシを食べる」はドタキャンしてしまった。
ちょっこと残念だけど。。

夕方、ディナーのテーブルで相席となったのはグリーンランドの首都ヌークから来たというデンマーク系のグリーンランダーだった。
彼によるとヌークのある南グリーンランドはこのこの所ずっと荒れ模様。
一日のうちに冬から夏まである日が続いて、飛行機が欠航していた。
やっと今日来ることができたのだという。
「あなたは、ここをどう思いますか」
「昨日着いたばかりなので」
「もしあなたが週末に到着していたら道のあちこちに飲んで酔いつぶれている人たちをたくさん見たと思います。彼らはときどき働かないで朝から飲んでいます」
彼はとても厳しい口調で言った。
「彼ら」とはイヌイットのことなのだろう。
私もスーパーのそばで何人かの男がビールを飲んでいるのを見た。
いわんとすることはわかるが、19世紀末この島を「発見」したと言って入植し、アルコールも含む諸々を持ち込んでイヌイットの生活を激変させたのはあなた達の先祖ではないかといいたくなった。
彼は西欧の悪い文化、たとえばドラッグなども入ってきていてグリーンランドも他の国と変わらないというようなことをいろいろと話した。
が、興奮すると英語がはやくなって私にはほとんど聞き取れなくなる。
聞くことに神経を集中していると食事がおいしくない。
参った。

今日のグリーンランド的感想  とても盛りだくさんな一日であった。フー。 


>>>>3月7日<木 晴れ 風強し> 本日のできごと >>>>>>>

昨夜が遅かったので、今朝がつらかった。
どうもこの頃、夜になると尻上がりで困る。

郵便や銀行、チケット取りなどを処理していたら、確定申告が手つかず。やらねば、なのに。いやなことから逃げようとするだめな私。

春一番みたいな風が吹いた。
部屋のストーブが不要。夕焼けがやけに美しかった、しみじみ。
名古屋のT新聞社のk氏から電話。

青年Aからメール。どうやら元気でやっているようだ。よかった×2。

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