| 2002年03月28日(木) |
第91夜 ★西国徒歩巡礼 施福寺まで ★ |
いい天気だ。6時40分過ぎに出る。三笠館のご主人が送ってくださる。 道はかつての大和街道だ。 今の国道を横にみて、ふつうの民家の間にある細い道が昔の国道だ。
時々かつての常夜灯や道しるべがある。 杖を持って、寒いので白いウインドブレーカーで固めている私があるいているのはやっぱり少し異様らしくて、挨拶をすると、むっと「おまえ、なに?」って感じで見られる。 ここは四国じゃないんだわ、を実感。
道は山に向かうので徐々に登り。 途中に、華岡青洲の生家や紀伊徳川家の本陣があった。 宿も一軒見つけた。
道の分岐。国道480号ということで、一応国道なので、トイレはコンビニで、と思っていたのだが、ない。なにもない。時々現れる集落もひなびていて、後はミカンや、柿の果樹園がえんえんと続く。 困ったね。 途中で、おじいさんと話す、柿の選定の仕方や、いっぱい咲いている白い花がなしではなくて「ブランコ」という私の知らない果樹の木だと教えてもらった。温室が説き語気あるのだがイチゴか?ときくといや柿だという。 「8月には出荷する、このへんは下記の産地じゃしなあ」 なんと一個500円の柿だという。 さようならしたら、追いかけてきて清美ミカンを2個くださった。
いよいよトイレ問題が緊急になったら、農協があった。訳を話してお借りする。 やれやれ。 しかし、少し行くとなんとこんなひなびたところに場違いな珈琲屋さんが出てきた。トイレ、もある、もちろん。しらんとはこういうことなんだわさ。
途中の「大宮神社」という立派な神社の階段で、座ってもらったばかりの清美オレンジとお菓子などで大休憩。 いい天気で眠くなる。
道はいよいよ寂しく、登りになってきた。 時々痴漢注意の看板がある。いやだね。 東谷というところから一気に急坂だ。山にへばりつくように人家がある。 徳島の神山町ににている。 しかし、「へっこ、へっこら」と進むのはつらい。おまけに道が人家に行くのか公道なのか、よくわからん。途中で植木のお世話をしておられる方にご挨拶したら、上から、どこにいくんと声がかかった。 おばさんだ。 西国を歩いて、、といったら、前なあ、この近くでやっぱり夕方、まきお山(西国2番さん)にいくいうてまよっておった人がいてな、泊めてあげたんやけど、あいさつもお礼もこんわ。 おばさんは1日からお四国をバスでまわるらしい。6回目だという。 少し休んでいきといわれてお言葉に甘える。 出していただいた冷たい缶茶がおいしかった。 昼時やしたべていかんか、といわれたが、先を急ぎたいので固辞する。 おばさんは、お四国紀州接待講の人だった。 しかし、ちょうどここがまきお山の分岐点で、何気に声をかけたのが大正解。お導きを感じた。
しかし、この後も迷った・・・。しるしがないということの大変さを実感する。 途中できいたおばさんは女一人で歩く道ではないし、国道を行けと進めてくれるし・・・。 道迷いで、30分から40分はロスった。とにかく気合いを入れて行かないと。 登りが続く。 2時、七越峠茶屋跡。 ここ、1時頃に通過するつもりだったんだけどな・・急ごう、と思っても苦手の登りでつらい。 アップダウンはあるし。やすむとこはないし。
とにかく、はじめは舗装の林道、やがて近畿自然道。 あれていた。 4時10分。施福寺着。 途中で、蔵岩を越えて背福寺への道標で登ろうとしていたら、男の人が降りてきてこの道は大変だから、下の道がいいと教えてくださる。 今まで誰にも会わなかったのに・・、これってお導き?っていう感じだ。 お寺で朝の出発時間を話したら少し時間かかりすぎじゃな、迷ったか・・・と笑われた。 はいそのとうり。
着いたことを心から感謝して、途中であった男性にも再度の御礼をいって下山。 お寺の方にきいた道を進んだら、1時間半ほどで、宿の河内長野YHについた。
ほぼ、11時間半の道のり。 登りが弱いを証明した一日。たぶん心臓が弱い、体重がじゃまをする、なんだろう。 YHの女主人はよい方であった。 泊まっていた長期の男性は洗濯の石鹸をくれるし。 ほっこりした。
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